昭和36年ころの沿岸作業、倉庫内作業は大半人力であった。


米俵(64KG)輸入小麦(92KG)


輸入米(100KG) を一日中肩で担いでの作業は大変である。


しかし当時の作業員は難なくこなした。


地方には就職先もなく、


都会に出て見つけた仕事が日給のよい沿岸作業のしごとである。


みな隆々とした体だが中には細いのもいた。 


給料は倉庫社員の倍ほどである。


私もそれに混じり時々は担いだ、最初は背骨が折れるかと思ったが、


3か月程で慣れてくると少々の時間ならすいすいできた。


大卒の人夫が出来た、と皆にからかわれた。


何事も経験が大事であることをつくずく感じた次第である。


職場で相手のことを理解し、良好な関係を構築するためであった。


若さと根気の日々であり、懐かしく思い出しています。