お前が死にたいと言って無駄に過ごした今日は、昨日死んだ奴が一生懸命生きたかった明日なんだ――――――

誰の言葉か忘れたけれど(もしかして金八とかかな?)、今頭を反芻しています。


今日私は誕生日を迎え、何となくまた一つ歳を重ねました。


死んでしまいたいと思ったこと、何度かありました。
生きていくのが厭で、でも死ぬ勇気も自分にはなくて…誰か私を殺してくれないかと思うこともありました。

…無駄な時間も沢山送ってきたし、でも正直私はそんな無駄な時間も総じて無駄ではなく必要性は人生に於いてあると想っていましたが、今日其の考えは揺らぎました。


中学時代の友人が今日亡くなりました。
私と同じ歳。言わずもがな早すぎる死です。


自分が此れ程恥ずかしく感じる事はない。
愚かだと思いました。


何だろう…何で彼女じゃなきゃ駄目だったのだろう…まだ二十弱の年月しか生きていない…まだまだ此からで…なのに…。


一方で同じ位生きてきた私は死んでしまいたい等と容易く思ってしまう…。


生きる事って権利であるのは勿論、義務でもあると思うのです。
何度か近しい人を見送って来たことがあるけれど、其の度に思います。
平和な時代に生まれた平和ぼけした私だから云える事かもしれないけれど、でも年間三万人以上の人が自殺で亡くなる此の国。何が平和か…何を持ってシテ平和と云えるのか…解らなくならます…って此は余談。

必ず残される者が居て、少なからず一ミリ程度でも残された者は去った者の想いを背負っていくと思うのです。



私は何を背負うのだろう…そんな権利はないのかもしれないけれど、怠惰な私はまた明日から何となく時を送ってしまうかもしれないけれど…でも生きなければならないと思うのです。
彼女の分も…そんなこと言えません。烏滸がましくて言えません。
でも愚か者なりに生きていく事は私の権利であり、義務な筈。

哀しみに浸っても自分を呪っても明日は来るのです。