「願」と「欲望」とは根本的に違います。
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こんな文面から始まる相田みつをさんの話。
2年前から、訳あって
「欲望って悪いものなのか?不要な欲望は削っていく必要はあるけど、完全否定もおかしい気がする…。」
と“欲望”について考えてました!
しかし、相田みつをさんの話でなんかスッキリした感があります♪
「自分が真剣に願ってるのに、何で叶わないんだ!?何でうまくいかないんだ!?」
と悩んできたのも、「欲望」であって、「願」ではなかったからって気がします!
自分だけの想いだから、イメージする力も何となく曖昧になる…。
欲望”からの「お金持ちになりたい!」は自分だけの世界で完結してるから、臨場感さながらにイメージ出来てるようで、出来てない。
しかし、「願」からの「お金持ちになりたい!」は周りを巻き込んで、「飯奢ってくれてありがとうございます♪」とイメージする。それだから、心から気分が良くなり、イメージしやすい!
ここら辺は今の思いつき何で、うまくまとまってませんが、でも私の中で
「願」と「欲望」は違うもの
とすると解決出来なかった問題が解決に繋がりやすいのを直感的に感じてます!
では、この両者の違いを以下で味わって下さいな♪♪♪
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タイトル
『願を持ちましょう』
「願」と「欲望」とは根本的に違います。
わずかなお賽銭を挙げて、
それも年一回の初詣の時ぐらいで、
「家内安全。商売繁盛。
お金がいっぱいできますように—」
なんてね。
こういうのは個人的・私的な欲望です。
それをわたしは否定しません。
私も同じですから。
しかし、そういう私中心の欲望とはまったく別に、
〇核戦争など
絶対に起こりませんように—
〇世の中が
どうか平和でありますように—〇山や海や河、そして土、水、空気、自然が、
人間の作る公害で、
これ以上汚れませんように—
と、心から念じたとき、
それを「願」といいます。
どんな小さな「願」でも
心ひそかに持ちつづけていると、
顔がよくなり、眼の色が
深く澄んできます。
ひとりひとり自分に合った
「願」を持ちましょう
そして「一隅を照らす」人間に
なりたいものです。
昭和60年 秋 彼岸の中日
合掌 相田みつを
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