昨日は独りで泣いて色々と考えたけど。
一虎が居ないのは決まった事だから仕方ないし、展示会を楽しめればいいなぁって切り替える事にしたよ。
ツイッターとか色々見てみたけども。
灰谷兄弟も春千夜も好きだし東京リベンジャーズが好きなので、彼等を「お財布要員」と言うのは悲しいなと思っています。
もう一つ気になったのは「嫌なら見なくていい」「嫌なら来なくていい」と言うもの。
それは違うなと思っていて。
それを言ってしまったら世の中の全ての議論が止まってしまう。
「あの上司嫌いだから仕事行きなくないな」
「じゃあ仕事辞めれば?転職すれば?」
「旦那が家事をしないからムカつく」
「じゃあ離婚すれば?」
極端な話だけど、そんな感じになってしまうよね。
大好きな推しがいるからこそ意見や苦言が口を吐く訳で(暴言は論外だけど)
その言葉の裏側にその人の東京リベンジャーズへの愛や想いが在るかを見極めなければいけないと思います。
流れゆく沢山のツイートの言葉尻だけでは、その人の想いを汲み取る事は不可能です。
ツイートする側も見る側もツイートの内容に気を配れたらいいけれど、感情が爆発してしまい冷静になれない時があるのが人と言うものですので。
その辺りは個人の範疇、自己判断になると思っています。
「嫌なら見なくていい、来なくていい」は極論で在って、対話とそれに対する思考を深める事を止めてしまう危険な言葉だと感じています。
「納得いかないから見ない、行かない」は受け取った本人が決める事で他人に決定権はありません。
なので、自分意思で判断し行動する事が大事です。
何事もそうですが、他人に流されたり自ら判断せず考える事を辞めてしまうと日常生活で不合理な局面にぶつかった時に上手く立ち回れなくなってしまう。
年齢的に若いとその時の感情で発言したり動いてしまう事も多く、周りに振り回される事も多いと思う。
一呼吸置くとか言葉を発する前(ツイートを打ち込む前)にワンクッション挟むとか、リアルに対面しての発言や意見は長く生きていても言い難い為、それが出来る様になるのは時間が掛かるものですよね。
SNSで育った世代は人間関係や発言の場をSNSに見出しがちでそこで意見を出す事にさほど恐怖心が無く、それ故に相手を慮る事が少なくなりがちで、SNSは発言していい意見していい場所であると固執してしまうのかも知れませんね。
それと別口で気になったものがあって。
正論の暴力が多いなと感じました。
正論はぐうの音も出ない位に正しいんです。
正しい事は正しい、それだけ。
それはそう。
当たり前だし、反論の余地はないのですけれど。
分かっているけれども10人いれば10通りの想いがある。
人の心中は複雑です。
自分なりに抱いた感情や意見を受け止めようとしている人にド正論をぶつけると相手は物凄いスピードで弱ってしまいます。
それは「見なきゃいい、行かなきゃいい」に繋がる部分でもあるんですけれど。
正しいけれど、人には人の感情があるので。
その方に寄り添った言葉を選び議論なり対話なり不特定多数に向けた発言なりをしていくといいと感じました。
沢山の経験をして心が成長してゆく度にスルースキルは上がり新しい視点と許容出来る範囲が広がります。
自分と周りをきちんと見渡し、喧嘩してもいいし間違っても良いので、沢山の経験と感情を抱いてそれを糧に多角的に物事を捉えられる人間になって欲しいと思います。
そんな事を、今回の騒動で感じました。
こんな小難しい事を日々思考している一虎最推しの私が最後の世界線に突撃するので、宜しくお願いします!!!
最後の世界線に最推しは選ばれなかったけど一虎が生きていてくれればいい!!!
生きてる世界線があるだけで幸せ!!!
一虎が幸せなら私は幸せ!!!
場地さんやマイキーや千冬達と笑っていてくれれば、それで良いです!!!
以上!!!
私の独り言は終わりです。