そんな私も、中学生活最後の3学期始め、試験まであと3日という時に生まれて初めて受験勉強をした。わずか3日間だったのだが、そこで勉強した理科と社会の問題数問が入学試験問題に出題され、まぐれで受かったのだ。まぐれといっても偏差値39の高校だが・・・。


入学試験の3日前に私はようやく自分の置かれた状況を理解した。生まれて初めてこのままでは駄目だ!と焦ったのだ。遅すぎた。もうこの時期に英・数・国を勉強しても手遅れだ。だって分からないもん。何が何やら、もうわけわかめ。だから英・数・国は捨てた!そして暗記科目の理科・社会に集中した。

 結局やろうと決めた課題の5%も終わらなかったのだが、その5%が入学試験に出題された!!おかげでどうにかこうにか合格出来たのだ。

 勉強してもすぐに飽きて違う分野に手を出す飽き性の性格が功を奏した。

当時の私を駆り立てたものは、

・内申書が関係ない私立の高校(母校)しか受かる見込みがなかったこと
   →なんといっても評定平均1.2なのである!

そして

・大学への憧れがあったこと。
   →バカ大学には受かる高校だと聞いていた!


 私はなぜか学歴への憧れを持ってしまった。

私の周りの環境が私にその思いを持たせたのかもしれない。

もしかしたらどこかで父に影響されて、学歴に対する思いを持ってしまったのかもしれない。

当時父の勤める会社は"実績"ではなく、所属する"学閥"で出世の可能性が決まる嫌いがあったようだ。父は高卒だったため、良く愚痴をこぼしていたのだ。

特徴のない中学時代の中で、唯一大学への思いを持っていたことだけはしっかりと覚えている。同時に友人にボコボコになぐられた悔しさを思い出した。見返したい。当時はそんな思いを実現出来ると思わせてくれた"普通コース"という言葉。

 私は躍動されたのかもしれない。そして、そんなどうしようもないクズ人間だった私の大学への思いを汲んでくれ高校入学を許してくれた父のためにも、「絶対に実績を作ってやる」と、心に決めたのだった。まぁ、その結果入学後1年で家計は破産寸前の状況になるのだが・・・。笑

そんな中学時代も終わりをつげ、高1の4月、あの肌寒い春の朝を迎えた。
私はこれから始まる試練の辛さを知る由もなく、ただただ期待に胸を躍らせていた。

このときの私は決して自分の人生を豊かにしようと思っていなかった。見返したい思いというのはネガティブである。自分の人生を豊かにできないものが指導など出来るはずがない。それでも、当時の自分を支えていたのはこうしたネガティブな感情だったのだ。ネガティブなエネルギーだったのだ。

 でもそれでいい。ネガティブであれ何であれ、凄まじいエネルギーに変わりない。それを、自分が成長発展していく方向に使えばいいのだ。
 
 さて、いよいよ高校デビューの話である。偏差値29からどう自分を変えていったのか。

続く