こんにちは。
インターネット予備校ロジック松原一樹です。

今日は反響のあった私の"偏差値29からの早稲田受験"に関して、公開していこうとおもっています。

今思えば精神論で勉強し、かなり遠回りしたなと感じるところがありますが
どのような思いで大学受験に立ち向かったのかをあなたにお話しすることで
少しでも勇気と希望をもってもらえたらと願っています。

誰一人例外なく、人には凄い可能性が秘められています。
「自分にはそんな能力も可能性もない」・・・もしそう思う人がいるのなら、
思い上がりも甚だしい^^

自分の可能性の芽を摘んでいるのは、他でもない"あなた"自身だ。

誰のせいでもない、親のせいでも学校のせいでも、友人のせいでも国のせいでもない。
あなたが自分の可能性を否定しているに過ぎないんです。

だから、あなたが少しでも"自分はもっともっと成長したい"と思うのなら
ぜひ読んでください。

では、どうぞ。


1章.大きな目標

16年前。あの肌寒い春の日。

私はこれから始まる新しい高校生活に期待の気持ちを持って入学式に向かった。

私の高校は、駅伝で有名な福岡の某私立高校で、進学コース・普通コース・工業コース・商業コースを有する総合高校だった。

私が受けた年の入学試験はたまたま普通コースに受かりやすい年で、内申書平均1.2(5段階評価)レベルの私でもギリギリ合格出来たのだ。
(現在では私の母校は有名大にも受かるほどの学校に変貌した。)

入学当時の私の英・数・国の平均偏差値は、わずか29。
落ちこぼれ街道まっしぐらの最下位の成績。高校には理科と社会の暗記で受かっただけに悲惨そのものだった。

しかし、私はこの成績に全く悲観はしていなかった。なぜなら私の当時の闘志は相当なものだったからだ。私は絶対に誰もが羨む大学に受かってやると心に決めていたのだ。

私がなぜこんなにも闘志に燃えていたのか。それには、中3の3月に、初めて私を認めてくれた父の存在が大きく関係する。

自分に自信が無く、覇気がなくなっていた私の僅かばかりの気持ちを汲んでくれた父は、学費の高い私立の高校への入学を認めてくれたのだ。

私の中学時代は惨めなものだった。
暴力にあっても仕返す勇気もなく、ただひたすら惨めな気持ちだった。妄想で仕返す姿を思い浮かべては悲しい気持ちになったものだ。私は、不良にもなりきれず、秀才にもなりきれず、何に対しても興味を持てず、自分の存在価値を見出せないまま暗い日々を過ごしていた。「いつか何者かになってやる」と根拠の無い思いに駆られ、妄想に耽ってしまう次第だ。

「そつなくこなして、凡人のままで人生を終わらせたくない」

しかしそうならない為に自分がどうすべきで、どうあるべきか分からない。いやわからない振りをしていた。なぜなら現実には、同級生からの暴力、先生からの見放し、両親の喧嘩、があったからだ。何も出来ない自分だけに落胆したかったからだった。

凡人で終わるぐらいなら今死んでやると意気込んでも、死ぬ勇気もなく数時間後にはもっと落ち込んでいた。というか、死んだらだめだ。なぜなら
も出来ない自分だけに落胆できなくなるからだ^^

でも僕は中学時代は落胆し続けることが出来た!ラッキーだ^^
中学1年の秋に野外活動で崖から落ちて足を複雑骨折してラッキー!、それ以来学校を休みがちになってラッキー!女の子に気持ち悪がられてラッキー!同級生から殴られて超ラッキー!こんな具合である。

すべて当時の自分が望んでいた通りの現実が中学時代にあったのだ。
特徴のない暗い3年間。
それが私の中学生活だったのだ。

当時は自分は"かわいそうな人間だ"と思いたかった。
自分がすべてそれを引き寄せ、実は心の底から望んでいることとも知らずに・・・。

でも、少しづつ自分はもっと成長したい、ポジティブになりたいと思い始めてきたのである。

続く