つい数年前から登場し、今や日常語と化した嫌いがある言葉の代表格。
「KY」
自分自身もふとしたときに使っていたりする。
これは、通常はネガティブな意味として使われることが多い。
「KY=空気読めない=イタイやつ」みたいな感じである。
なので、今までは自分も「KY」は社会生活上良くないと漠然と考えていた。
でも、「じゃあ、いつでも常に空気を読む人は良い人なのか?」とこの前ふと思った。
良く言えば、空気を読めば、場を壊すこともなく、皆の気分を害することはないのかもしれない。
常に周囲に気を配り、世話を焼いたりと、「気遣いの出来る人」ってなるのかもしれない。
誰かの気分を逆撫ですることもなく、無難に生きていけるとは思う。
でも逆に言えば、単に人畜無害で、それなりに周囲と関わるだけのおもしろくない存在なだけ
・・・な気がする。
自分の軸もなく、ただ周りの雰囲気に合わせるのが得意なだけの人になるんじゃないかと。
「郷に入れば郷に従え」という日本古来の文化なのかもしれないけど。
確かに、郷に従うのが適切なこともあるのは否定はしない。
極端な話、卒業式で皆が蛍の光を歌っているときに、ひとりだけガガガSPの卒業を歌う、みたいな。
それは皆に迷惑をかけるし、不快な思いをさせるだろうから、やるべきではないし、当然皆と一緒に
蛍の光を歌うのが、この場合は当然だと思う。
でも、こーゆーのは礼節とか節度とかの言葉で語られるべきレベルの話であって、空気を読むとか
読まないとかで語られるべき話じゃないんではないかと。
人間である以上、他人とコミュニケーションを取っていかないと社会生活は送れない。
コミュニケーションを取れないと、他者との関係は絶対に作れないから。
だから、その中で周囲に気を配ったり、場の雰囲気を感じ取ったりすることは確かに必要だ。
でも、それは「思いやり」とか「礼節」とかであって、「顔色を伺う」のではない。
相手本位で考える「思いやり」の中で自然に行われるのが「礼節」。
「顔色を伺う」のは、他人のご機嫌を取ってるただのゴマすりなんじゃないか。
少なくとも、僕はそれが空気を読むってことではないと思う。
ご機嫌取りが言う、「空気を読む」ってのは、大抵の場合、常識に縛られてるだけだと思う。
「この場合は●●であるべきだ」っていう考えに常に縛られて生きてるだけ。
じゃないと他人に嫌われるかもしれないから。
疎外されるのが嫌だから。
そーゆー人生って、無難かもしれないけど、全然おもしろくない。
やっぱり、常識をぶっ壊したところに人生のおもしろさはあると思うし。
例えばお笑いなんかで考えたら分かりやすいのかな。
バラエティのフリートークで、常に周囲の状況を伺って無難な笑い取ってる芸人が本当に心の底
からおもしろいと思えるかどうか。
少なくとも僕はそんな芸人はおもしろいとは思わない。
やっぱり、その場の空気をあえてぶっ壊してでも、驚くようなことを言って笑いを取れる芸人の方が
絶対おもしろいと思うし、印象にも残る。
それに、そうじゃないと絶対に生き残ることなんて出来ない。特に今の時代は。
目立っていかないと、そもそも存在すら認識してもらえないんだから。
でも、日本人は「謙虚に、控えめに」が美徳とされる文化だから、目立ちすぎると叩かれる。
だから「空気読めよ」みたいなことが盛んに言われのかもしれない。
「出る杭は打て!」ってのが暗黙の了解みたいになってる。
他人と同じであることに安心して、安住する。
その結果、個々の個性はなくなっていく。
僕が思うのは、これからの時代にそんなことばっかしてたら、生き抜いていくのは無理だってこと。
いかにユニークな人間足り得るかが、最大のポイントだと思うから。
日本的文化は確かに素晴らしいと思うし、受け継いでいくべきところもたくさんあるけど、
捨てるべきところは捨てていかなくてはいけない。
これだけグローバルな世界になって、周りのご機嫌伺って・・・みたいなことしてたら、そもそも
存在すら認識してもらうことが出来ない。
「お前みたいなのいたっけ?」
こんな風に言われて終わり。
まぁそれがいい人なら、別にそのままでいいのかもしれないけど。
なので、「KY」の意味は実はネガティブではなく、ポジティブだと僕は考える。
「KY=空気を読まない=スゴイやつ」
ただ、勘違いしてはいけないのは、これには前提として「思いやり」とか「礼節」を心得てること
が絶対に必要。
それがないまま空気を読まないやつになると、ただの迷惑でウザイやつになるから。
他人を無意識に傷付ける有害な人間になる可能性が高いし。
でも、最低限の思いやりを持ち、礼節をわきまえた上で、あえて空気を読まない勇気を持てる人。
こーゆーやつだけが、これからの時代成功するし、生き残っていけるはずだ。
殺人容疑で35歳女再逮捕 埼玉不審死、練炭で中毒死装う
この事件、今朝のNHKニュースでも報道されていたが、なぜか「35歳・女」という表現をされていた。
本名は「木嶋佳苗」と言うらしい。
上記の記事でも、文末の但し書きにもある通り、先日までは匿名で報道していたようだ。
罪状が結婚詐欺から殺人へ切り替わったことがその理由らしいけど。
この容疑者に関しては、昨年の逮捕以降、マスコミはなぜか実名報道を長らく渋っていたらしい。
昨年の10/29付の日刊ゲンダイが実名を掲載したのをきっかけに、一部メディアは実名で扱う
ようになったようだが、主要TV局などはほとんどが未だ匿名のままだったりする。
今朝のNHK然り。
その背景が何かあるはずだと思い、ちょっと調べてみた。
最近多発している在日右翼による犯行のひとつなのか?
それとも大物政治家や官僚に関連のある人物か?
はたまたその他に理由が?
いろいろ調べている内に、文藝評論家の山崎行太郎氏のブログ に辿り着いた。
その中で気になったのが、この容疑者の祖父が昔地方議員をやっており、昨年亡くなった
故・中川昭一議員の別海地区後援会長を務めていたことがあったということ。
これだけで、何らかの政界との関係性を述べるには不十分だが、「何か」はありそうな気がする。
今はまだ、その「何か」はわからないが。
そもそも前から思ってはいたことだが、実名報道と匿名報道の基準は何なのか?
万引きで実名報道され、強烈なバッシングをくらう人もいれば、片や殺人事件を起こしても
実名ではなく匿名で許される人もいる。
この差は何なのか?
誰が、何のためにこれらを決定しているのか?
一体誰の利益を体現しようとしているのか?
この木嶋容疑者、今回の逮捕容疑の殺人以外にも、いくつも結婚詐欺が疑われている。
そして、その相手の男性が相次いで不審死となっている。
まだ状況証拠だけで物的証拠が出ていないなら、断定は確かに出来ない。
でも、今の状況で報道するなら匿名ではなく実名ですべきではないのか。
ここまできて実名で報道出来ないのなら、そもそもなぜ報道するのか?
元々報道するに当たって数多の選別が「誰か」によって行われてるのは間違いないのに。
成人による事件での「実名」と「匿名」の選別。
基準を明確に示すべきだと思う。
この事件、今朝のNHKニュースでも報道されていたが、なぜか「35歳・女」という表現をされていた。
本名は「木嶋佳苗」と言うらしい。
上記の記事でも、文末の但し書きにもある通り、先日までは匿名で報道していたようだ。
罪状が結婚詐欺から殺人へ切り替わったことがその理由らしいけど。
この容疑者に関しては、昨年の逮捕以降、マスコミはなぜか実名報道を長らく渋っていたらしい。
昨年の10/29付の日刊ゲンダイが実名を掲載したのをきっかけに、一部メディアは実名で扱う
ようになったようだが、主要TV局などはほとんどが未だ匿名のままだったりする。
今朝のNHK然り。
その背景が何かあるはずだと思い、ちょっと調べてみた。
最近多発している在日右翼による犯行のひとつなのか?
それとも大物政治家や官僚に関連のある人物か?
はたまたその他に理由が?
いろいろ調べている内に、文藝評論家の山崎行太郎氏のブログ に辿り着いた。
その中で気になったのが、この容疑者の祖父が昔地方議員をやっており、昨年亡くなった
故・中川昭一議員の別海地区後援会長を務めていたことがあったということ。
これだけで、何らかの政界との関係性を述べるには不十分だが、「何か」はありそうな気がする。
今はまだ、その「何か」はわからないが。
そもそも前から思ってはいたことだが、実名報道と匿名報道の基準は何なのか?
万引きで実名報道され、強烈なバッシングをくらう人もいれば、片や殺人事件を起こしても
実名ではなく匿名で許される人もいる。
この差は何なのか?
誰が、何のためにこれらを決定しているのか?
一体誰の利益を体現しようとしているのか?
この木嶋容疑者、今回の逮捕容疑の殺人以外にも、いくつも結婚詐欺が疑われている。
そして、その相手の男性が相次いで不審死となっている。
まだ状況証拠だけで物的証拠が出ていないなら、断定は確かに出来ない。
でも、今の状況で報道するなら匿名ではなく実名ですべきではないのか。
ここまできて実名で報道出来ないのなら、そもそもなぜ報道するのか?
元々報道するに当たって数多の選別が「誰か」によって行われてるのは間違いないのに。
成人による事件での「実名」と「匿名」の選別。
基準を明確に示すべきだと思う。
主に、以下の7つの訓練を通じて、日々論理力や思考力を鍛えていきたいと思います。
訓練1
何かにピンときたら、それに対して「なぜ?」という思考を出来る限り繰り返す。(ラダリング)
訓練2
とある事柄に対して、真逆の視点を加えられないか考え、その中庸点が導けないか考えてみる。
訓練3
他人の目線を自分に置き換えて、他人の言動について「自分だったらどうするか?」考えてみる。
訓練4
世の中にある常識、セオリー、制限などを、合法的に覆せないかどうかを考えてみる。
訓練5
目の前にいる全くの他人(電車内で向かいに座った人など)の生い立ちに思いを馳せて、
その人の一生を勝手に想像してみる。
訓練6
他人の話から聞こえてきて気になったフレーズ、本や雑誌を読んでて気になった言葉などを抽出し、
それらを記憶としてストックしていく。
訓練7
「万が一●●が起こったらどうするか?」勝手にシミュレーションしてみる。
これらの訓練法は、クリエイターのおちまさと氏の著書【企画の教科書】から。
これらの訓練を積んでいくことで、絶対に何者にも操られない、洗脳されない人間になる。
24時間365日思考を止めない頭に。いつでも何気の臨戦態勢で生きるために。
訓練1
何かにピンときたら、それに対して「なぜ?」という思考を出来る限り繰り返す。(ラダリング)
訓練2
とある事柄に対して、真逆の視点を加えられないか考え、その中庸点が導けないか考えてみる。
訓練3
他人の目線を自分に置き換えて、他人の言動について「自分だったらどうするか?」考えてみる。
訓練4
世の中にある常識、セオリー、制限などを、合法的に覆せないかどうかを考えてみる。
訓練5
目の前にいる全くの他人(電車内で向かいに座った人など)の生い立ちに思いを馳せて、
その人の一生を勝手に想像してみる。
訓練6
他人の話から聞こえてきて気になったフレーズ、本や雑誌を読んでて気になった言葉などを抽出し、
それらを記憶としてストックしていく。
訓練7
「万が一●●が起こったらどうするか?」勝手にシミュレーションしてみる。
これらの訓練法は、クリエイターのおちまさと氏の著書【企画の教科書】から。
これらの訓練を積んでいくことで、絶対に何者にも操られない、洗脳されない人間になる。
24時間365日思考を止めない頭に。いつでも何気の臨戦態勢で生きるために。