お母さんから数日前に連絡が来た。
おばあちゃんが
入院したって。
肺炎が酷くて
多分、そんなに長くは生きられないって。
私は
常に考える方法が決まっていて
もしも。
の事を常に考える。
その考え方は
奏音を産んでからより一層
強くなった。
奏音を産んだ時
奏音の病気を知った時
もしも
奏音が死んじゃったら…
その事ばかり
頭にあった。
けど
今、こうしてこの子の寝顔や
笑顔を見ると
もしも5歳まで生きれたら
もしも10歳まで生きれたら
もしも20歳まで生きれたら
実は普通に60歳位まで
生きれたら
もしも退院したら
もしも呼吸器が外れたら
もしも酸素がいらなくなったら…
なんて考えられるようになった。
確かに奏音の病気が原因で
沢山の試練や
苦難があったし
きっとこれからもあるだろうけど
正直、もしもなんて
考えても何の結論も出ない事
なのかもしれないけど
前むきな
もしも。は悪くない。
今週末から
おばあちゃんに逢いに
四国に帰ります。
一番おばあちゃんの性格を
受け継いだ私。
生きる術を教えてくれたのは
正直、おばあちゃんだと思う。
曽孫に当たる
奏音に本当は会わせてあげたかったな。
奏音の分まで
おばあちゃんに大好き伝えてきます。