しばらく虚構と現実を行ったり来たりしていた。記憶の片隅に置いておいたものを全部忘れた。噛り付くのは腐ったチーズ、非常識にも程があるって?そんなまさか。
男はあたしを凄い形相で睨んでそれから痛烈なパンチを一撃、あびせた。生肉がへこむ音がしたけども音の割りにそれほど痛くなかったのはきっと男が手加減してくれたからだろう、こんな時、あたしは男を愛しいと思う。こんなとき。
そうですね、たとえ話は性に合わないですけど、あえて用いるなら多分あたしは食器を洗うときに使うスポンジ、やわらかいスポンジ。そんでもってあの男はよおく研がれた出刃包丁で、あたしが洗ってやろうとすると暴れてあたしを切り刻むんですね、そうです。あたしは最初その痛みにぎいとかぎゃあとか呻いたけど最近は平気です。この通り元気です。拝啓、扇風機もカキ氷機も押入れに強制送還されるくらいめっきり肌寒い季節となりましたがお元気ですか?あたしを捨ててどこかでのうのうと博打と薬に明け暮れている両親にはこんな葉書を送ってやろう。
「おまえを女として見たことはないよ」
男はあたしの中で散々暴れまくった後、馬乗りの姿勢のまま冷たく言った。あたしはさして悲しがったりせずああそう、あたしもあんたを男として見たことはないと言ったら期待はずれで悔しいのか男はあたしをもう一回ぶった。さっきは右の頬で今度は左の頬、丁度はんぶんこになったね、と笑って言うと男も一緒に笑ってくれた。嬉しい。いまこの顔のまま幼稚園かどっかに訪問したら、子供たちはあたしを見てアンパンマンだーと喜ぶだろうか。もし喜んでくれたらこれはこの上ない幸せである。あたしは生きててよかったとしみじみ感動するかもしれない。きっとそんなことはない。
あたしは元気ですの反対の反対の反対の反対。結局元気なんじゃねえかこのやろう。
外が白んで見える。あたしはこの世界に溶けていく。リピート記号でまた楽譜の最初に戻ったとしてもあたしは、あたしはひたすら元気です。
艶っぽいお香のにおいとティッシュ。
