梅雨が明け、日差しはあるものの湿度がなく過ごしやすい最近の東京です。

みなさんはいかがお過ごしでしょうか?

私は昨日、行って参りました!
東京都江東区は、東京辰巳国際水泳場へ(o^^o)


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何故ならば、この水泳場ではダイビングプールを一般公開しているからです。

そう、私はプールへダイブしに、辰巳駅へ降り立ったのでした。


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駅出口の辰?


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とても気持ちのいい並木道。

何故ダイビングかといいますと。
私が敬愛し憧れるお姉まさの一人である福寿草さんが、ダイブしたからです。

それだけでは何のことやら、ですね笑

福寿草さんは高いところが苦手だそうです。
脚がすくむだけでなく、手脚の力が抜けて座り込んでしまうこともあったそうです。

内臓がすわーとなる感じ、分かります。私もジェットコースターに乗ると、そのすわーが気持ち悪くて怖くて仕方がなかったです。

ジェットコースターでなくてもすわーとなるとは、高いところが本当に苦手な方なのだな、と思いました。
しかし、そんなに怖いのに、福寿草さんは「ありたい己」であるために、「恐怖を感じていても自分を信じる」ということを実行するために、ダイビングに挑戦すると決めて、その数日後に実行したのです。
(と、私はブログから読み取りました(^^;)


その行動の早さと、思いと行動が一致している姿に、私は胸を突き動かされました。
また、その柔軟で、恐怖に向き合う強い姿に私も近づきたい、と思いました。

また、その前に読んだ、プラクティスさんの記事に触発されたからというのもあります。

「バンジージャンプの意義」

少し長くなりますが引用します。

(ここから)
学校の時に、自分は注射を打たなくても良いことをしっている子供が、他の子供に、注射なんてビビるなよ、とか、大丈夫だよ、とか言うような、あの感じです。

で、いざ、自分にも注射を打つことになったら泣く、みたいな。

(略)

冷たいんですよ。本当に。

言っていることとやっていることが違うんですよ。本当に。

(略)

で、こういう文章を読んで、はいわかりましたとか、勉強になりましたとか、気付きを得ましたなんてことは、誰にでも言える驕りだと言うことを今回、知ったハズです。

それらは、理解でも、勉強でも、気づきでも何でもありません。

単に、映画を観て感動しました的な他人事です。

本当の理解、勉強、気づきは、実践の中にしかありません。


飛び込まない人が、飛び込む人を見て、

「なるほど、そうやって飛び込むんですね、勉強になりました」

みたいな戯言は、戯れの言葉にすぎないのです。

(略)

ですから、「できない自分にこだわる」のを止めて、ビビッて足がすくんでしまうことに、飛び込んでみることです。

(略)

未来は、今の脳(考え方)を「できない自分にこだわる」のに使わず、

「できる自分にこだわる」のに使うことで、輝いて行くのです。

これが本当かどうか確かめる術は一つしかありません。

それは実際に、飛び込んでみること、です。


いくら自分は出来ると思い込んだって、飛べなきゃ嘘だから、です。
(ここまで)


こんな話を聞いたら、飛んでみたくなりません?^ ^

それで、私もダイビングしてみることにしました。

飛んだことない、だから飛んでみたい。
私も高いところ、というか足場が不安定な高いところが苦手だけど、だからこそやってみたい。
(ジェットコースターには、ただただ乗ったことを後悔します。ディズニーランドのスプラッシュマウンテンは、一目見ただけで乗るのを拒否しました。スペースマウンテンならなんとか楽しめます。タワーオブホラーは本気で怖がります)
また、去年バンジージャンプをしたとき、自らに、落ちることへのとてつもない抵抗感があることも、知っていたました(やすやすと躊躇無くなんて、落ちられませんでした)。

と言っても、なんとかバンジーは出来たわけですし、ビルから下を眺めるのは好きなので、飛び込みも、3mなら普通にできるだろうと思っていました。

しかしそんな楽観的な思いも、プールに近づくにつれて、緊張へと変わっていきました。