風の時代の是非③(正しい「サイン」の解釈と個人的推測・希望)
「既存のモノや社会の崩壊」と彼らはよく主張する。
しかし、彼らの信じている「スピリチュアル」や「占い」も崩壊する可能性はある。
もっとも、風の時代や風のエレメントというのは「全て壊す」ということを意味しているわけではなく、「安定」より「変化」、「変化が多い不安定な時代」ということなので、
そこまで極端なことにはならない。むしろ中途半端に終わる可能性すらある。
しかしながら良いようにも悪いようにも変化しやすい時代というのは事実なのでこの先「スピリチュアル」や「占い」に何が求められるか推測してみよう。

↑前回の考察の際に作った画像
私がいつも主張している通り、サインの解釈には欠陥がある。
これも「惑星」や「占い師本人のイメージ」「感性・霊感」によって歪められてしまったものだ。
そして「エレメントとクオリティー」というサインの論理自体が軽視されたためにあのような、間違えた解釈が常識になってしまった。
その上にポエムじみた感性的な解釈をする人が占い界隈でもてはやされ、有名な占い師ですらまともに解釈出来ていない人もいるのである。感性的というのは「思考停止」である。西洋占星術の大御所と持ち上げられている人も、スピリチュアルにどっぷりはまり込んでいる。あれがトップに立つべき人たちだと思えないが。
あのような分かりづらい解釈や本が「本質的」と持ち上げられるのは異常だ。ああいう人達は取り敢えず回りくどいポエムをばら撒いておけば「本質的」という気がするが(笑)
同調圧力もあるのか?みんなが同じようなミスをしている。
もちろん占星術師にも学問的に解釈している人もいるのだが。本来評価されるべきなのはそういう人達だ。
まとめると、今の「占い」は自分の都合に当てはめるために、解釈を歪めてしまう人が多い。
わからないことは定義から推測するのではなく霊感や妄想を根拠にする。
とにかく占いは「感性」が大事で、そのものの定義や論理は軽視されやすいこと。
占星術は学問性を失ってしまった。感性的なスピリチュアルと癒着しすぎてしまった。
だが、私はこれが見直される可能性があるのではないか?と考えている。
何故かというと、風のエレメントは「思考や論理性」を表している。
つまり想像を膨らます占いより、何が正しいのか?という定義を問う占いの方が重要になるのではないか。
「スピリチュアル」や「占い」は「学問的」に変化するのではないか。「感性」や「霊感」ではなくその「論理」や「定義」が重要視されるようになるのかもしれない。
風の時代は「客観性」に欠けるものは通用しない。感性ではなく、誰でも理解できることが重要である。※1
※1「風の時代」だけではなく春分点が「魚座」から「水瓶座」に移動することとも関連する。これについては別の記事で書く。
占い界隈はあまり自浄作用がない。なぜなら最初から占いが「当たっている」と言う人達しか興味を持たないからだ。
もちろん一部が当たっていても、別の場所は間違えていることもある。なので物事は常に見直されるべきなのである。
「占い」と「スピリチュアル」
どちらにせよ胡散臭い人達がお金稼ぎするようなコンテンツになるのではなく、本当に「学問」として追求したい人のみ残ってほしい。そう願うばかりである。
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