SNS発信を頑張るほど苦しい人へ|安心したいだけだったのかもしれない

朝起きたらすぐスマホを見る。

 

通知あるかな。

反応あったか。

昨日の投稿は、どうだったか。

 

 

本当は、まだ目も覚めていないのに。

気づけば、数字を確認していました。

 

 

いいねが少ないと、少し沈むし

反応があると、少し安心する。

 

でも、その安心は長く続きませんでした。

 

また次の投稿を考える。

また反応を気にする。

また不安になる。

 

 

そんなことを、ずっと繰り返していました。

 

 

前は、成果が欲しいんだと思っていました。

 

 

もっと見られたい。

もっと選ばれたい。

もっと進んでいると思いたい。

 

 

でも、少し違ったのかもしれません。

 

 

本当に欲しかったのは、

成果ではなく、安心だったのかもしれません。

 

 

私は、ずっと不安だったんだと思います。

 

 

止まったら忘れられる。

投稿しなかったら置いていかれる。

ちゃんとして見えなければ、価値がない。

 

 

そんな前提の中で、

ずっと発信していました。

 

 

だから、頑張っても終わらなかった。

 

 

 

一度反応があっても、

また次が怖くなる。

 

 

 

少し褒められても、

また証明しなきゃと思う。

 

 

 

これでは、休めるはずがありません。

 

 

 

頑張っていたのに。

ちゃんと動いていたのに。

それでも空っぽだった理由は、

もしかしたらここにあったのかもしれません。

 

 

安心を、外側に置きすぎていた。

 

 

 

数字。

反応。

誰かの評価。

ちゃんとして見える自分。

 

 

それらがある時だけ、

少し安心できる。

 

 

でも、なくなった瞬間に、

また不安に戻る。

 

 

だから、また足す。

 

 

 

もっと投稿する。

もっと学ぶ。

もっと整える。

もっと前向きに見せる。

 

 

でも

 

 

安心が外側にある限り、

どれだけ足しても、たぶん足りません。

 

 

ある人のレポートを読んだ時、

私はそこに少しだけ引っかかりました。

 

 

頑張れば解決する。

もっと動けば変われる。

そう思っていたけれど。

 

 

本当は、

頑張る場所そのものがズレていたのかもしれない。

 

 

そう思った時、

少しだけ息が戻りました。

 

 

私は、弱かったのではなく。

サボっていたのでもなく。

 

 

ずっと、不安を埋めるために動いていたのかもしれない。

 

 

SNSは、便利です。

発信も、悪いものではありません。

 

 

でも、

自分の安心を全部そこに預けてしまうと、

少しずつ苦しくなります。

 

 

反応がある日は安心できる。

反応がない日は、自分まで否定された気がする。

 

 

それはもう、

発信というより、

自分を保つための確認作業になっていたのかもしれません。

 

 

もし今、

頑張っているのに安心できないなら。

 

 

もっと頑張る前に、

どこに安心を置いているのか。

 

 

一度だけ、見てもいいのかもしれません。

 

これは答えではありません。

 

ただ、私が一度立ち止まるきっかけになった見方です。

 

 

その違和感は、

たぶん無視しない方がいいものです。

 

ここまで読んで、
何か引っかかるものがあるなら。

その違和感は、
たぶん無視しない方がいいものです。

私は、この考え方に触れてから。

「頑張ること」そのものを、
少し疑えるようになりました。

無理に変わる必要はありません。

ただ、少し整理したくなった時に。

あの時、私が立ち止まるきっかけになったものを置いておきます。

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