何度もブログを作り直している自分が、一番嫌いでした。

夜中の1時すぎ。

子どもが寝て、
洗い物も終わって。

やっと一人になれたリビングで、
私はまたスマホを見ていました。

タイトルを変える。

プロフィールを直す。

記事を書き直す。

何度も、何度も。

でも本当は、
何を直したいのか分からなくなっていました。

翌朝、
パートへ向かうバスの中でアプリを開く。

並んでいるのは、
数件のいいねだけ。

いいねが少ないだけなのに、
夕飯を作る手まで重くなる。

子どもに返事をしながら、
心の中では、

「私って、何もできてないな」

そう思っていました。

スーパーのレジで、
ネギや牛乳を通している時も。

夕飯のひき肉をこねている時も。

頭の中では、
ずっと記事のことを考えていました。

子どもが、
「今日ね、学校でね」
と話しかけてきても。

私は返事をしながら、
次の記事のことを考えていました。

最低だなと思いました。

子どもとの時間を大事にしたくて、
家でできる働き方を探し始めたはずなのに。

気づけば、
その時間まで削っていました。

投稿を増やしても苦しい。

ブログを直しても苦しい。

休もうとしても、
また続かなかった自分に戻る気がして怖い。

どこへ進んでも、
自分を責める場所に戻ってきていました。

同じ頃に始めた人が、
「初報酬が出ました」
と書いているのを見た時。

正直、
おめでとうなんて思えませんでした。

なんであの人だけ。

私の方が、
ずっと考えているのに。

そんなことを思ってしまう自分も、
嫌いでした。

でも本当に怖かったのは、
その人が稼いだことじゃありません。

また途中で諦めて、

「やっぱり私は変われない」

そう思うことでした。

このまま一生、
パートと家事と焦りの間をぐるぐる回って。

子どもの時間まで削ったのに、
何も残らなかったらどうしよう。

そんなところまで、
勝手に考えていました。

でも今振り返ると。

私が苦しかった理由は、
才能がないからでも、
努力不足だからでもありませんでした。

私はずっと、

「毎日発信して、
目立つ人だけが結果を出せる」

そう思い込んでいたんです。

だから反応が少ない日は、
自分の価値まで低くなった気がしていました。

でも本当は違いました。

苦しかったのは結果じゃない。

その前提を信じ続けていたことでした。

あるレポートを読んだ時。

そこには、
もっと頑張れとも、
もっと投稿しろとも書かれていませんでした。

むしろ。

頑張る方向を間違えるほど、
人は苦しくなる。

そんなことが、
静かに書かれていました。

変われなかったんじゃない。

「変わらなきゃ」で動いていたから、
苦しかった。

そう思えた時、
少しだけ息が戻ったんです。

私が欲しかったのは、
すぐに大きな成果を出すことではなく。

「このままの私でも、
まだ終わりじゃない」

そう思える、
小さな猶予だったのかもしれません。

もし今。

反応の少なさに振り回されていたり。

止まるのが怖くて、
走り続けているなら。

その苦しさは、
あなたが弱いからじゃないかもしれません。

 

私はずっと、

自分が弱いから苦しいんだと思っていました。

でも実際は、

苦しさを生む前提を握ったまま、

必死に走っていただけでした。

私が立ち止まるきっかけになった考え方を、
ここに置いておきます。

➔ 無理に頑張り続けなくてもいいと思えたレポート

氷室 零