子供というものは「自分は絶対正しい」と思い込んでおり、間違いを絶対に認めません。
私も子供のころは類にもれずそうだったようで、親から『悪いことをしたら「ごめんなさい」と言いなさい。』と散々言われた記憶があります。
その躾あってか、今でも失敗すると即「申し訳ございません」が出てきます。
間違えたら間違えたで謝罪すれば済むものをマスコミという人種は謝れない。
流石に松本サリン事件では、サリンを作ることが不可能であるということがわかったため当初の報道が過ちであると謝罪せざるをえなかったが、そのようなケースはまれでまず自らの間違いは認めない。
いつも愛読している「THE JOURNAL」に山口一臣さんの 「週刊朝日に高野さんの論考が載ってます」 という記事があり、この中に
『本日(5月4日)の朝日新聞声欄に「朝日新聞と親子関係であるはずの週刊朝日が、西松問題でのスタンスがかくも異なるのはなぜか?」という投書が載っていました。(以下略)』(投稿者: たけ)
というコメントが載っておりました。
なぜでしょう?
新聞はこのような事件性が高いものは取材即掲載、検察から情報を取ったものを検証もせずにそのまま載せてしまう。
(これ自体問題なのですが、今日はその話ではありませんのでスルーです。)
最初の情報配信でボタンの掛け違いが起こるので「ごめんなさい」が言えない「お子ちゃマスコミ」はミスリードし続けなければならない。
少し考えれば、西松事件で法的問題がないことは明らかなので一度「小沢けしからん」で走り始めてしまった連中は、法律に触れず話を少しずつ逸らし始める。
まず「説明責任を果たすべき」と言い出す。
政治資金規正法に関する説明は果たしているのに何の説明を求めているのかよくわからない。
「なぜそんなにお金を集める必要があるのか?」
「そのお金を何に使ったのか?」
すでに容疑事実とは無関係になっている。
次第に自分たちの主張に理がないと悟り始めると、小沢が辞めれば一応の自らの主張の正当性が示せると考え、今度は民主党が「小沢おろし」に奔走していると報道し、自らが「小沢おろし」の先頭に立つ。
一言「ごめんなさい、検察に踊らされていました」と言えば、このような筋の通らない論理を振りかざす必要はなくなるのに子供のように間違いを認められないから言えない。
いやむしろ、老化のほうかもしれない。
人は年をとり認知が出てきてもやはり自分の間違いを認めなくなる。
「老者ーナリズム」
単なるマスコミの自己保身。
みっともない。
一方雑誌は時間的に余裕があるのでしょう。
少し考えて「おかしい」と声を上げる。
「検察おかしい」で走り始めれば、論筋は作りやすく法律を根拠にいくらでも検察を責められる。
読者も論旨がしっかりしているから読んでて心地よい。
ネット(yahooの「みんなの政治」やブログ等々)を中心にこの論旨に対する支持が広まっており論調を変える必要がない。
新聞は自己保身により謝罪ができないため雑誌と論調が異なってしまったのではないかと私は考えます。