また西松事件がらみです。

実は最初、私の不勉強で「なぜこんな時期に?」の意味がわかりませんでした。


近代国家は人権保障と統治機構を土台とし、そのうち統治機構は国民主権と権力分立が2本の柱です。

国民主権は民主主義の要請によるものであり、権力分立は自由主義の要請です。


私たちは近代国家の原理を戦後輸入する形で獲得しました。

日本国憲法です。

自らつかみ取ったものではないことの弊害は大きく、民主主義と、自由主義の真の意味を結局理解できていないのだと思います。


権力分立である以上、行政が立法の意志を曲げてはならない。

民主主義の下では立法の意志とは国民の意志であり行政が国民の投票行動を誘導するような行為は許されない。


「なぜこんな時期に?」は国家の基軸である民主主義と自由主義からの帰着であるということが、ようやくわかってきました。


元東京地検堀田力氏が出席した政治資金問題第三者委員会 の堀田氏と元検事郷原信郎氏のやりとりを見ていて、「なるほど、この2人はそもそもの立ち位置が違う」と感じました。

堀田氏が殊更「法の趣旨」を訴えるのに対し、郷原氏は「人権保障、統治機構」、つまり「法の下の平等、罪刑法定主義、民主主義、自由主義」といった基本に立って話をしていた気がします。


堀田氏は『「法の趣旨」から匿名の寄付は認められていないから出資者がわからない寄附は認められないと解する。』との趣旨の発言がありましたが、これはまさに類推解釈で刑事裁判において認められないとされているものです。


堀田氏は元ですが、どうやら現検察内部の意見も同様なもののようで、さらに検察内部には、「時代の要請」などというお題目まで飛び出しているそうです(「田中良紹の国会探検」 より)


人は論理に困ると架空の第三者を立て自らを正当性を保とうとします。

「国民はそう思ってる」

「国民は知りたがってる」

「これが国民の声です」

などなどマスコミが好んで使う言葉です。

国民って誰に聞いたんでしょうか、『主語は「私」でしょう?』と言いたくなります。

そう考えると、これも同様で「時代の要請」は「検察権力(私たち)の要請」なのかなと深読みしたくなります。


もはや論理的な有罪立証が不可能であるという検察の事実上敗北宣言のように聞こえます。