沖縄の新聞社に関する百田氏の発言について | 第6の権力 logic starの逆説

沖縄の新聞社に関する百田氏の発言について

平成27年6月25日に、自民党の勉強会で作家の百田尚樹氏が、沖縄の新聞社2社について「潰さないといけない」などと批判する発言をしたとされる件について、「言論弾圧」という文字を使った報道もされ、また、バッシングとも思える非難がされているように思えますので、書いておきたいと思います。


このブログの趣旨からは、百田氏と自民党サイドを擁護することになります。(逆説ですから)


まず、百田氏は私人です。そして、この勉強会は、公開されていない会合です。だとすれば、どのような発言をしようと、百田氏が非難をされることはないはずです。ここで百田氏の発言を非難することこそ、言論弾圧になります。この発言の対象となった当の新聞社でさえ、百田氏を非難していないということに留意すべきです。


わたし自身も含めて、人間というものは、悪者をみつけてバッシングして、気持ちよくなりたい、という欲望があると思います。今回の件は、まさに、それが噴出したケースだと思います。冷静に、客観的に考える、理性が必要です。


非公開の勉強会なのですから、対外的な影響などを考えず、素直に発言をしなければ、勉強になりません。あやまった発言をするかもしれません。しかし、あやまちを知ることこそが、勉強の本質だともいえると思います。そこでの発言が、外部から非難されるということは、妥当ではないと思います。


また、この発言は、実際には、勉強会が終了した後の、雑談の場での発言だとも言われています。誰かとの雑談したときの内容が新聞などで報道され、ネットで拡散され、社会的な非難を浴びるということになるということは、自分がそうなったときのことを考えれば、妥当ではないと思います。


ところで、この非公開の勉強会の内容(あるいは雑談の内容)を、公表・報道した人たちは、いったい、なにを考えていたのでしょうか。「言論弾圧」という表現もされていますが、この勉強会の内容(あるいは雑談の内容)が公表・報道されなければ弾圧になりようがないのです。公表・報道・拡散され、相手に伝わるからこそ、圧力になるのです。自分たちで公表・報道・拡散しておいて、弾圧だというのは、ちょっとおかしくないでしょうか。


昔、「産む機会」という発言について、やはり、自ら公表・報道・拡散しておいて、「それを聞いた女性たちがどう思うか」とか「女性を傷つけた」という非難をぶつけたのと、同じ雰囲気を感じました。


これらの報道や拡散行為は、社会をよくするためのものではなく、非難をすること自体を目的としたものではないのでしょうか。


そして、こうした非難に屈して関係者を処分したりすれば、ますます、他人を攻撃することを目的として発言をあげつらったり、失言を誘ったりする、無益で、むしろ有害な行為が、助長されることになるのではないか、と心配しています。