神戸市長に55億円の賠償を認めた判決2 議会による損害賠償請求権の放棄について
前のエントリーで、神戸市長に55億円の賠償を認めた判決について書いたことがあります。
そもそも、住民訴訟は、市長や職員が、私利私欲のために勝手に市の財産を使って、市に損害を与えた場合に、提起すべきものです。
神戸市は、きちんと手続を踏んで、隠すことなく、支出をしました。
その支出に仮に問題があったとしても、市長1人が責任を負うべきことでないことは明白です。
したがって、この判決は、根本的に誤りです。
それにもかかわらず、こうした住民訴訟がなされ、このような判決が横行するため、議会は、やむを得ず、市長に対する賠償請求を放棄する、という議決をしたのです。
そして、議会が市長や職員に対する賠償請求を議決により放棄できる、ということは、地方自治法に明確に書いてあります。
それにもかかわらず、なんの法律の根拠もなく、その賠償請求の放棄を無効とした、という判決でした。
しかし、最近、議会の賠償請求の放棄を否定的にとらえる主張がみられ、地方自治法の改正も言われるようになっています。
たとえば、中央大学の阿部泰隆先生は、「議会の多数派が市長与党と称して、大政翼賛会と同じように市長の方針に「協賛」しているのである。とても「良識」ある判断をしているとは思えない・・・・勝手に放棄するのは、背任である。そのようなことが白昼堂々と議論されているのである。・・・違法な権利放棄をすれば、違法行為の共同不法行為者として、自治体も賠償責任を負うと解するべきである」と論じています。(ジュリスト1411号70ページ)
この阿部先生の主張は、「勝手に放棄するのは、背任である」というのですから、議会による権利放棄そのものを否定しています。しかし、議会が放棄できるということは、明確に法律に書いてあるのです。それを無視した主張であり、もはや法律論とも言えません。
阿部先生は、「自治体も賠償責任を負う」と言いますが、住民訴訟というのは、もともと、自治体の立場で、住民が職員を相手に訴訟をおこすものです。そして、神戸市の支出は、市長が独断でおこなったわけではなく、神戸市という自治体が手続きを経ておこなったものです。仮に、その支出が誤っていたとした場合、まさに自治体が責任を負うべきことであり、自治体が神戸市長個人に請求をするという住民訴訟が認められるということは、おかしなことなのです。
したがって、議会はまさに「良識ある判断」をしているのであり、この判決をした裁判所のほうが、とても「良識ある判断をしているとは思えない」のです(法律に基づいた判断をしていないことは明白です)。
このことは、前のエントリーに詳しく書いたとおりですので、ご覧ください。
http://ameblo.jp/logic--star/entry-10422850535.html
わたしは、議会による請求権の放棄は、決して望ましいことだとは思っていません。
また、住民訴訟について、直接職員を被告とすることができなくなった改定も、問題があると思っています。
しかし、こうしたことが行われているのは、住民訴訟で政策的主張をしたり、あるいは、自治体が正規の手続を踏んで支出したものについて本来行うべき是正を求める訴訟ではなく高額の個人賠償を求める訴訟を提起したりするようになったからです。
こうした住民訴訟や、判決こそが、住民訴訟の趣旨を根底から覆すものです。
議会による請求権の放棄の議決や、地方自治法の改定は、酷い訴訟の乱発と、ひどい判決が相次いだための、やむをえない措置であり、責められるべきは、裁判官と、その判決を是認してしまった法学者、住民訴訟を濫用した一部の弁護士、一部の住民であると思っています。
こうした酷い判決をする裁判官がいるために、そしてそのような判決を支持する法学者やマスコミがいるために、政治・行政も裁判をおそれて十分に機能しなくなり、ひいては国民が不幸になるのではないか、と危惧します。
議会が請求権の放棄によって最後に良識を発揮してきたわけですが、この請求権放棄を認めないようにしようという法改正が議論されていますので、あらためて書いてみました。
(このエントリーにもいつものように非難がきそうですが、あえて人気のある主張とは違うことを書くのが「逆説」ですから)