パロマガス湯沸かし器事故の有罪判決について | 第6の権力 logic starの逆説

パロマガス湯沸かし器事故の有罪判決について

5月12日に、パロマのガス湯沸かし器を使用していた人が一酸化炭素中毒で死亡した事故について、パロマの元社長と元品質管理部長に有罪の判決がありました。


このブログの趣旨から、判決に否定的な立場で、パロマ社員を擁護する立場で、書いてみたいと思います。


この事故は、パロマのガス湯沸かし器自体に問題があったというわけではありません。

販売後に、改造がなされたため、安全装置が働かなくなり、そのために、死亡事故に至ったというものです。


すなわち、パロマの社員には、積極的になんらかの行為をおこなったということではなく、改造されて危険な湯沸かし器を放置したという不作為の責任が問われているわけです。

そして、不作為の責任については、なかなか問うことが難しいということは、薬害エイズの事件について、前のエントリーですでに書いたところです。

http://ameblo.jp/logic--star/entry-10077669314.html


まず、パロマは、改造湯沸かし器を回収する、契約上の義務がなかったことは明らかです。

安全な製品を販売する義務があり、それは売買で完結されたわけです。

売買後に、買主が(他の人に依頼して)改造をしたものを回収する義務が、契約上あったとは思えません。

契約上の義務がないということは、民事上の義務がないということです。

民事上の義務がないにもかかわらず、より重い、刑事上の義務があったというのが、今回の判決です。

これだけで、なにかおかしいのではないかと思われます。


判決を具体的に見てみます。


判決は、次のように述べています。

パロマは「事故現任に関する情報を入手していた。」そして、「情報等に基づいて、把握できる範囲で・・・点検・回収を行うことは可能であった。」

また、ガス事業者(東京ガス)は、「事故防止のための十分な対策をとっておらず・・・事故の情報の収集は十分でない」とし、経済産業省も「事故に対策する安全対策の指導の実績は乏しく、収集された事故情報についても省内で集約されておらず、事故防止対策を指示するための契機として活かされていなかった。」

しかし、これでは、熱心に情報を集めていれば、対応が可能であったとして刑罰が課され、逆に、無関心で放置していれば知らなかったのだから仕方がないとして許されることになってしまいます。

まったく不合理ではないでしょうか。


また、あくまでもパロマは「点検・回収を行うことは可能であった」にすぎません。

それを判決は、とくに理由も説明せず、「点検と・・・回収を行うべきであった」と言い換えてしまっています。

しかし、やろうと思えばできたということと、やらなければならなかったという間には、大きな違いがあるはずです。

やろうと思えば、パロマでなくとも、(ガス事業者と経済産業省はできなかったとして)修理業者でも、たまたま被害者の家に遊びにきた被害者の友人で機械に詳しかった人であっても、たまたま被害者の家にあげられた車のセールスマンでガス器具に詳しい人であっても、可能であったわけです。

可能ということから、義務ということに、なんら根拠なく変えてしまっていることも、この判決の大きな問題点です。


さらに、判決は、元社長は「最終決定権限を有していたのであるから」、元品質管理部長は「安全対策の実務上の責任者として活動していたのであるから」、「刑法上の注意義務を負う立場にあった」と述べています。

ここでは、2つの問題点があります。

先ほど、「可能であった」が「行うべきだった」にすり替わったと書きましたが、それがここではさらに「刑法上の注意義務を負う」に変わっています。

また、先ほどまでは「パロマの責任」を論じていた判決が、ここでは、元社長、元部長というだけで、個人の刑法上の責任があるとしています。

仮に、パロマに道義上あるいは倫理上の点検・回収義務があったとしても、それがただちに刑事上の義務になるはずがありません。

刑罰を課すほどの義務と責任があったのか、ということを、この判決では検討さえしていません。

さらに、刑罰は個人に課されるものであるはずなのに、判決では、元社長、元部長ということから、「権限」と「立場」で、個人の責任を認めてしまっています。しかし、この「権限」と「立場」は職務上のもののはずです。パロマのイメージダウンに対して、こうした「権限」と「立場」がある社長・部長という肩書の2人は、職務上の責任を追及されることになります。しかし、刑罰は、個人が受けるものですので、肩書から当然に刑事責任が認められるものではなく、具体的な個人の行動や判断を根拠としなければならないはずです。この判決は、元社長・元部長の2人についてさらに詳細に検討をしていますが、結局、事故の発生を予見することができたかもしれない、ということにとどまっています。それで刑罰を課されるのであれば、ほとんどの人が犯罪者になってしまうのではないでしょうか。


判決でも、「本件事故は直接には修理業者による不正改造に起因したもので、その責任は第一次的には不正改造を行った者に帰せられるべきである」と述べられています。

それならば、不正改造を行った修理業者に刑罰を課せば、じゅうぶんだったのではないでしょうか。

さらに、なにも積極的に悪い行いをしていないパロマの社長や部長に刑罰を課すべき理由が本当にあったのでしょうか。


私自身も自覚していますが、誰か悪者をつくり、バッシングして、いい気持ちになりたいという、欲望は、誰にでもあると思います。

だからこそ、理性と知性をもって、冷静に、客観的に、多面的に検討すべきである、というのが、このブログの趣旨なのです。

今回の判決は、悪者をつくりバッシングしたいという人の欲望をマスコミがあおってできた風潮や「空気」に流された結果ではないかと危惧します。

(平成10年7月28日札幌地方裁判所判決、平成14年2月7日札幌高等裁判所判決を参照のこと)


この事故で検討すべきは、誰を犯罪者にするかということではなく、なぜこのような事故が発生したのかを解明し、今後はどのようにして防ぐのかということではないのでしょうか。