東海豪雨新川訴訟控訴審判決について | 第6の権力 logic starの逆説

東海豪雨新川訴訟控訴審判決について

8月31日に、2000年(平成12年)の東海豪雨について新川流域で床上・床下浸水等にあった方による損害賠償訴訟の控訴審判決がありました。

控訴審でも、1審と同様、原告敗訴、損害賠償は認めないという判決になりました。


河川水害については、行政がなにかをしたために被害が生じたというわけではありません。行政は被害防止のために努力をしています。いわば、努力が足りないから、という理由で損害賠償を求めているという点が、通常の損害賠償請求と異なるところです。


新川流域は、もともと河川の氾濫のおそれが高いと考えられていたようであり、古い家屋には、敷地に盛り土をしたり、基礎や土台を高くするなどの対応をしているものが見られます。


そうした備えをしていない(あえていえば「怠った」)家屋が被害を受けたということになります。


東海豪雨などの水害については、1審判決をもとに、すでのこのブログで一度書いたことがありますので、以下ではそれを再記しておきます。


http://ameblo.jp/logic--star/entry-10079941002.html


行政が建設した建築物が倒壊して隣家が下敷きになったという場合には、行政の責任は容易に認められます。

その建築物を建築したのが行政ではなく、個人であっても、その個人の責任は容易に認められるでしょう。

しかし、河川水害は、被害が生じたからといって、簡単に行政の責任を問えるものではありません。

もともと河川は洪水するものであったところ、行政が治水のために手段を講じて、洪水を少なくしている、というのが現状だからです。

行政がなにもしなければ、洪水による河川水害はもっと頻繁におこっているでしょう。

河川水害は、自然に発生するものです。

それを、行政が努力をして治水をしており、その効果もたしかにあがっているのです。

それにもかかわらず、その「努力が足りない」として、行政の責任を問うているのです。

センセーショナルに「人災」という言葉が使われることもあります。


さて、ここで、「努力が足りない」とは、どういうことでしょうか。

河川水害防止にかける費用が少ない、ということにほかなりません。

もっと、河川水害防止に税金を投入すべきだった、ということです。

そして、被害が発生した場合に行政の責任を問うということは、税金から補償をせよということです。

すなわち、河川水害について行政の責任を追及するということは、河川付近の住民のために、もっと税金を使うべきだ、ということなのです。

河川水害防止のために、そして、被害が発生したら補償のために。


河川水害が発生してしまったときの補償について考えてみます。

Aさんは、河川水害で家屋が全壊したため、税金での補償を求めたとします。

Bさんは、河川水害で同様に家屋が全壊したのですが、河川に近いからということから、高額の保険料を支払って保険に入っており、この保険金が出たために損害がなかったとします。

このBさんの支払う税金から、Aさんの家屋のために補償がなされることが公正でしょうか。

またCさんは、河川に近いということから、高額の費用をかけて、土地を高くしたうえに家を建てたため、洪水にもかかわらず、家屋に損害が発生しなかったとします。

そして、Dさんは、河川に近いということから、ここに家を建てるのをやめて、はるかに土地代が高額になったにもかかわらず(河川に近く低い土地は安いのです)、もっと河川から遠い土地に家を建てたとします。

このCさんやDさんが支払う税金から、Aさんの家屋のために補償がなされることが公正でしょうか。

Eさんは、資産がなく、収入も少ないため、土地も家も持つことができず、賃貸アパート住まいだったとします。

このEさんが支払う税金から、Aさんの家屋のために補償がなされるということは、持たざる者の負担で、持てる者の財産を保護するということになるのですが、それが公正でしょうか。


最後のEさんとAさんとの関係を考えてみると、家屋や家具といった財産への補償と、生命や傷病への補償を分けて、生命や傷病への補償は行政が手厚くおこなう、という選択もあるのかもしれません。


今回は、税金の流れに注目をして、河川水害と行政の責任について書いてみました。

あまり論じられていない点ではないかと思いますが、いかがでしょうか。


なお、河川水害防止のために費用をかけることについても、少しだけ書いてみます。

先のAさん、Cさん、Dさんの関係は、水害防止に税金を投入する場合でも、同じです。

たとえば、Cさんは、高額の費用をかけて土地を高くしたうえに家を建て、洪水に万全の備えをしたとします。その後、Aさんの強い訴えで堤防をつくることになり、まったく堤防を必要としていないCさんの払う税金から、その建設費用を支出することは公正でしょうか。

Dさんは、河川に近い土地を避けて、はるかに土地代が高額になったにもかかわらず河川から遠い土地に家を建てたとします。その後、Aさんの強い訴えで堤防をつくることになり、まったく堤防を必要としていないDさんの払う税金から、その建設費用を支出することは公正でしょうか。


また、もう少し違う視点からも、河川水害防止にかける費用について、考えてみます。

仮に、10億円の堤防をつくれば、河川水害が絶対に防止できるとします。

ただし、10年たったら、また10億円かけて堤防をつくりなおさなければなりません。

他方、堤防をつくらなければ、10年に1回水害が発生するおそれがあり、そのときの損害は5億円とみこまれるとします。

この場合でも、10億円をかけて堤防をつくるという選択が正しいのでしょうか。

裁判などでは、水害が予測できたかどうか、がよく争われていますが、水害が予測できたとしてもあえて完璧な対策をしないこともありえる、とわたしは思うのですが、いかがでしょうか。



この件に関して参考となる記事等

http://bubangzhu.blog.so-net.ne.jp/2010-09-02-3

http://blog.goo.ne.jp/photoproduce/e/da707263b86d0c09784469cd4270db32