神戸市長に55億円の賠償を認めた判決について | 第6の権力 logic starの逆説

神戸市長に55億円の賠償を認めた判決について

しばらくブログの更新を差し控えていました。

このブログは、マスコミなどの多数意見にあえて反対のことを書いてみるというのが趣旨で、政争については書かないという方針ですので、政権交代時に書くと、党派的な意見というイメージになってしまうのではないかと危惧をしたからです。

政権交代の動きもそろそろ一段落したと思いますので、再開したいと思います。


さて、11月27日に、住民訴訟で、神戸市長に55億円の賠償を認める判決が大阪高等裁判所でありました。


おおむね報道は客観的ではありますが、住民・判決サイドの主張しか掲載をしていないところに偏りが見られますので、神戸市長を全面的に擁護するスタンスで書いてみたいと思います。


新聞記事等をもとにこの事件の概要をまとめますと、

(1)神戸市は外郭団体に職員を派遣し、その団体に人件費を補助金として支出していた

(2)この補助金の支出を違法として、その支出額全額を神戸市長が個人で神戸市に支払うよう住民訴訟が提起された

(3)1審では、神戸市長が敗訴し、約47億円を、神戸市長が神戸市に支払うべきとの判決がなされた

(4)神戸市議会では、1審判決後、神戸市長の賠償請求を放棄する条例を議決した

(5)大阪高等裁判所では、この議会の条例の議決を「住民訴訟制度を根底から否定するもの」として、「議決権の濫用」であり、無効として、神戸市長に対し神戸市に55億円の支払いを命じた。

ということのようです。


しかし、そもそも、なぜ、この事件が、神戸市長個人が、神戸市に対して、50億円もの支払いをしなければならないのか、私には、まったくわかりません。

神戸市長は、個人の利益をはかったわけでもなく、補助金の支出も神戸市長が個人で判断・決定したのではなく、市の職員が手続きを踏んで、予算について議会の議決を経て、隠すことなく支出していたわけです。


今回の事件の最大の論点である、議会の請求権放棄を考えてみます。

なぜ議会が請求権を放棄したのでしょうか。

これは、議会自らがその支出を承認していたわけですから、その責任を市長ひとりに負わせるべきではない、という判断をしたものと思われます。

この判断は、おかしいでしょうか。

あなたが、あるグループの役員であったとします。ある役員が、リーダーに、「みんなの会費から、これだけ、これに使っていい?」と聞かれたので、リーダーは何人かの役員を集めて、オープンに議論して、「それでよい」と判断して、使い道も会員に公開したうえで、支出をしたとします。

支出後に、突然、会員の一部が、「それは違法だ。リーダーが1人で全額返却すべきだ」と言ってきたとします。

あなたはどう考えますか?

「役員会で議論して、決めたことではないか。リーダー個人が返却することではないではないか。役員会で、その点をはっきりしよう」というのが、おかしなことでしょうか。趣旨を根底から覆すことでしょうか?


そして、法律において、議会の議決により、賠償請求放棄ができるということも定められているのです。

それにもかかわらず、議会の議決を無効とする高裁判決こそが、いかに「趣旨」や「濫用」をもちだそうと、法律を無視する、誤った判決ですl。

そして、なぜこのような議会の議決がなされたのかも理解しておらず、この判決は、住民訴訟制度の根本をわかっていないものといわざるをえません。


本当は、議会の議決の前に、ちゃんと裁判所が判断をすれば、今回の事件で個人賠償ということになるはずがないのです。


個人の賠償は、市長や職員個人が独断で違法行為をおこなって自治体に損害を与えた場合に限定すべきです。

議会を含めて自治体の多くの人が判断した結果を市長個人一人に押し付けるようなことは誤りです。

そして、とても個人に責任を負わせるべきではないという議会の判断を無効とするような、今回の判決は明らかに誤りです。

それ以前に、この判決は、神戸市の「損害」と神戸市長の「責任」についても、まともに判断していません。

しばしば、行政法上「なんらかの」違法があるとして、ただちに、市長個人の故意・過失や、因果関係や、民事賠償上の違法や損害の有無を検討せずに、市長の個人賠償を認める判決がしばしばなされており、この判決も、そうした判決の一つであるように思われます。


本来は、個人賠償は、職員が違法行為にり自治体の損失によって個人の利益を得たような事案について、法律用語でいえば、自治体に「損害」が発生し、それが個人に「起因」し、その「責任」が個人にあるとされる場合に、求められるべきものです。

そうした損害の回復を、自治体がおこなわない場合に、自治体に代わって住民が裁判をおこすという、住民訴訟というものが認められるはずです。

しかし、神戸市長は、私腹をこやしたわけでもなく、個人の独断をしたわけでもありません。

住民訴訟は、神戸市に代わって、住民が提起するものです。

神戸市が神戸市長を訴えるものです。

仮に、今回の支出になんらかの違法があったとしても、それは、神戸市ではなく、神戸市長にすべて責任があるといえるでしょうか。

先に説明したように、とてもいえないと思います。

また、仮になんらかの違法があったとしても、繰り返しますが、ただちに神戸市に損害があったことにはなりません。

今回の判決は、神戸市に損害があったということも、まともに判断をしていません。


住民訴訟では、この判決のような、ちゃんとした法律上の判断をしない、ひどい判決がしばしばなされます。

行政法の手続違反があっただけで即高額の賠償を市長に認める、あるいは、どちらをとるかという政策の判断を市長がきちんと法律の手続きを踏んで議会にもはかって進めたにもかかわらずそれが誤っていたとして即高額の賠償を市長に求める、といったものです。

こうした判決がでるために、住民のほうも、住民訴訟で政策的主張をしたり、あるいは、是正を求める訴訟ではなく、高額の個人賠償を求める住民訴訟を提起したりするようになりました。

わたしからみれば、こうした住民訴訟や、判決こそが、住民訴訟の趣旨を根底から覆すものです。


こうした酷い住民訴訟が乱発し、また、客観的な法律判断をせず、「趣旨」や「濫用」ということから、高額の個人賠償を認める判決裁判官が乱発してしまったために、住民訴訟制度は見直さざるをえなくなりました。

住民訴訟制度は改正され、住民から直接個人への訴訟ができなくなってしまったのです。

政策の是非や、手続的・形式的な違法を争うのではなく、自治体の損失により個人の利益をはかった者を追求するのが、本来の住民訴訟の個人賠償請求です。

それができなくなってしまったのです。

わたしはこの改正には反対であり、むしろ改悪だと思っていますが、その原因は、酷い訴訟の乱発と、ひどい判決が相次いだための、やむをえない措置であり、責められるべきは、裁判官と、その判決を是認してしまった法学者、住民訴訟を濫用した一部の弁護士、住民であると思っています。


ところで、裁判官がどれほど誤った判決をしたとしても、裁判所や裁判官個人の賠償責任を認めた判決はありません。

法律のプロである裁判官が間違えても責任は問われず、法律のプロとはいえない市長が法律の判断を誤った場合にはただちに全額を個人で払えというのです。

明らかに、不合理で、不可解であると思います。


こうした酷い判決をする裁判官がいるために、政治・行政も裁判をおそれて十分に機能しなくなり、ひいては国民が不幸になるのではないか、と危惧します。