鳩山法務大臣の死刑執行署名と朝日新聞「死に神」報道について | 第6の権力 logic starの逆説

鳩山法務大臣の死刑執行署名と朝日新聞「死に神」報道について

鳩山法務大臣が署名をし、6月17日に3名の死刑が執行されたことについて、鳩山法務大臣を批判する報道や見解が示され、特に、朝日新聞が18日付夕刊「素粒子」欄は、鳩山法相について「2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」などと記載しました。


鳩山法務大臣は、法律の定めと、裁判に従って、執行の署名をしたにすぎません。誰も好んで死刑の署名をするはずがなく、職務として、しなければならないから、署名をしたのだと私は思います。


本ブログの趣旨からは、当然鳩山法務大臣を擁護する論陣をはるべきであり、朝日新聞の報道姿勢を批判するところですが、この朝日新聞の記事には、すでに多くの批判が示されました。


鳩山法務大臣も、朝日新聞の記事に対して、「社会正義のために、わたしも苦しんで執行した」「死刑囚にだって人権も人格もある。執行された方々に対するぼうとく、侮辱でもある」「大変問題だと思う。軽率な文章については心から抗議したい」と的確に問題点を指摘したうえで、強く抗議しました。


鳩山法務大臣の兄にあたる民主党の鳩山幹事長も、「法相には死刑を執行しなければならない責務がある。死刑をやりたいと思っているわけではないと思う」「弟は死に神ではない」「死に神の兄と呼ばれたくもない」と語り、鳩山法務大臣を擁護しました。


朝日新聞にも多くの批判が寄せられたらしく、21日付夕刊「素粒子」欄で、釈明記事が掲載されました。全文を引用します。

「鳩山法相の件で千件超の講義をいただく。『法相は職務を全うしているだけ』『死に神とはふざけすぎ』との内容でした。法相のご苦労や、被害者遺族の思いは十分認識しています。それでも、死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです。風刺コラムはつくづく難しいと思う。法相らを中傷する意図はまったくありません。表現の方法や技量をもっと磨かねば。」


18日付朝日新聞夕刊のような扇動的な報道に対して、読者から健全な批判がなされたということで、安心しました。こうした扇動的な報道を批判し、違う観点があることを示し、また、多様な考え方を示すのが本ブログの趣旨ですが、この件については、あまりつっこんで書く必要がないかもしれません。


鳩山法務大臣は、非常にまじめに法を順守して執行しなければならないと考えており、また、人権ということについても確固とした考え方を持っていると私は思います。鳩山法務大臣は、マスコミがどう報道するか、世間でどう受け止められるかということをあまり考えずに、自分が正しいと思っている考え方を発言してしまうので、よく報道機関や野党から批判が叩かれます。過去にこのブログで鳩山法務大臣擁護の論陣をはったことがあります。

http://ameblo.jp/logic--star/entry-10072939701.html

このときは鳩山法務大臣へのバッシングが強く、擁護の論調は圧倒的な少数派でした。


今回の18日付朝日新聞夕刊は、その内容があまりに酷く、鳩山法務大臣の反論も的確で、かつ、ある意味で情に訴えるものであったため、世論は鳩山法務大臣擁護に動いたと思います。朝日新聞の記事があれほど酷くなければ、鳩山法務大臣が叩かれていた可能性はあります。


しかし、本来は、死刑執行の是非について法務大臣が判断するということがおかしい、というのが鳩山法務大臣の主張であり、わたしはその主張は全面的に正しいと思います。しかし、その正論がこれまで強く批判を受けてきたため、鳩山法務大臣も今回は「作戦」を変えて、、「社会正義のために、わたしも苦しんで執行した」と情に訴える戦術をとり、それが成功したといえるのではないでしょうか。朝日の扇動的な記事が失敗し、鳩山法務大臣の情に訴える戦術が成功した。今回は、鳩山法務大臣の作戦勝ちかもしれません。そういう点では、現在の死刑制度について、冷静に、客観的に、多面的に考えて鳩山法務大臣の死刑執行署名が支持され、朝日新聞が批判されたわけではないということに、留意しておく必要があるかもしれません。


死刑は国会で定めた法律で認められていること、そして、個々の事件における死刑は裁判所が決定していること、そうであるならば、行政を担う大臣は法律と裁判にしたがって執行しなければならないはずで、そこに個人の判断を差し入れてはいけないはずです。「法相には死刑を執行しなければならない責務がある」という鳩山民主党幹事長の指摘が端的に正しく、「死刑をやりたいと思っている」か否かにかかわらず、執行しなければならないのです。その点を理解すれば、死刑の是非を、大臣の問題にするということ自体のおかしさがわかるはずです。


21日付の朝日新聞の釈明記事について、最後に批判をしておきたいと思っています。18日の記事は、どう考えても、「法相のご苦労や、被害者遺族の思いは十分認識」したうえで書いたものとは思えません。「法相らを中傷する意図はまったくありません」と釈明していますが、中傷以外のなにものでもないと思います。「それでも、死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです」ということは、死刑執行について法務大臣を刺すことが当然であるという前提にたったものいいであり、それ自体が誤っていると私は考えますが、そうでなくとも、刺すこと自体の是非について考えた様子が見られません。「表現の方法や技量をもっと磨かねば」といいますが、「表現」の問題ではないはずです。扇動的に個人攻撃をして、鳩山法務大臣を中傷しようとしたことを認め、それを謝罪し、撤回すべきであったと思います。それは、世論の賛同が得られなかったからではなく、そもそも個人攻撃をしようとする報道の姿勢として問題があるものだというのが、わたしの意見です。


また、朝日新聞広報部は、「社としてコメントすることはない」という見解を発表しましたが、それも大きな問題であり、このような個人攻撃の中傷記事を掲載しておいて、「社としてコメントすることはない」というのであれば、もはや「公益を担う」「公器」というべき存在とは認められないと思います。


なお、誤解されたくないのであえて書いておきますが、わたし個人は、立法や政策としては、死刑廃止を支持しています。それでも、現状においては法律に死刑があり、法律にもとづいて死刑判決がなされたのであれば、大臣が死刑執行署名をするのは当然だし、署名をした大臣を批判するのはおかしいと思っているのです。ましてや、報道機関が大臣個人を誹謗中傷することは、絶対に許されることではないと考えます。