自衛隊海外派遣差し止め却下判決について | 第6の権力 logic starの逆説

自衛隊海外派遣差し止め却下判決について

4月17日に、名古屋高等裁判所で、自衛隊の海外派遣差し止めを認めなかった判決がありました。

この判決や、この判決を受けた反応・報道には、いろいろと問題を感じますので、少し書いてみたいと思います。


まず、このエントリーのタイトルですが、違憲という言葉を使いませんでした。あえていうなら「自衛隊の海外空輸活動について違憲と言及した判決」という、もってまわった言い方になっています。

あくまで、自衛隊派遣の差し止めを求めた原告が敗訴し、国が勝訴した判決だということを、まず認識する必要があります。

したがって、この「自衛隊の海外空輸活動について違憲と言及した」部分は傍論にすぎず、法的な効果はありません。「違憲判決」というとショッキングですが、それは正確ではありません。

実際は、自衛隊派遣を差し止めなかった判決なのです。

原告団は「違憲の司法判断が示された」と発言したようですが、それは誤りです。

福田首相のコメント「傍論だ。判決は勝った。」というのは、簡潔にして的を得た発言です。

この判決は派遣の差し止めを認めなかった。

裏をかえせば、この判決によって「自衛隊派遣が司法によって認められた」といってもよかったくらいです。


したがって、この「違憲と言及した部分」に、過度に反応すべきではありません。

政府として静観する、というのは、良識的な対応でしょう。

この判決をもって政府を追及する、といった発言をした野党議員もいたようですが、まったく問題外です。

そもそも、裁判所の判決は法律にしたがってなされるものですから、法律をつくる立場にある国会議員が裁判所の判決で政治的見解を左右されるというのは、情けない話です。

国権の最高機関としての誇りや自負があれば、判決を根拠に政治的見解を主張したり、批判したりすることはないと思います。


違憲に言及した部分について、田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長が、「私が心境を代弁すれば『そんなの関係ねえ』という状況だ」と発言した、という報道がありました。判決の傍論にすぎず、法的な効果はないということから「そんなの関係ねえ」というのは、正しい見解です。判決は派遣を差し止めなかったのですから、傍論で言われたことには関係なく、職務を遂行する、というのも、正しいでしょう。そして、現場の自衛官としては、命令にしたがって職務を遂行するしかないわけであり、裁判官になにをいわれようが、「そんなの関係ねえ」と思うしかありません。


この「そんなの関係ねえ」という発言を批判したり、現場の自衛官や基地に対して抗議を申し入れるというのは、やはり筋が違うと思います。個々の自衛隊員が、命令を無視して、自分の判断で行動しては、軍隊としては成り立ちません。自衛隊員の父親が「息子は国が決めたことに従わざるを得ない」と発言したという報道がありましたが、そのとおりだと思います。自衛隊員は、わが国の安全のために、まさに命をかけて職務を遂行しているのです。なぜ、そうした人たちを非難できるのか、わたしにはまったく理解できません。

批判をし、争うとすれば、命令を出した人に対してのはずです。そして、実際に命令を出した人を相手に裁判で争って、敗訴した、というのが今回の判決なのです。


さて、町村官房長官は、「判決の結論を導くのに必要のない部分で裁判官のが意見を述べるというのは判決のあり方としておかしい」と批判しましたが、そのとおりだと思います。

あえて違憲であると書くのであれば、差し止めを認めるべきだったのです。

中山成彬衆院議員が、「問題のある裁判長で、変な判決だった。3月末で辞め『最後っぺ』(おなら)を出したようなものだ」などと語ったそうですが、わたしも同感です。

もう辞めるということが決まってから、わざわざ判決の結論とは逆の内容の物議をかもすようなことを傍論で述べたわけですから、まったく非常識としかいいようがありません。

この青山邦夫裁判長の過去の判決を参照してみるべきです。これまで、これまで、どのような判決を出していたのかを調べれば、この判決が「画期的」でもなんでもなく、「おならを出したようなもの」だということがわかると思います。

自分の政治的な見解を主張したい、そして、採用してほしいというのであれば、裁判官ではなく、政治家になるべきです。

こうした判決をとりあげて、さわぐことが、まさにこの裁判官のねらいどおりということになります。黙殺するのが一番です。


航空幕僚長や中山成彬衆院議員の発言を「ふざけている」と批判した人もいますが、国会など、本当に職務遂行の場で発言したわけではありません。この裁判官は、判決文という職務遂行において、このような「ふざけた」行為に及んだわけですから、批判されるべきは誰かを間違えるべきではないと思います。


なお、判決の論理展開にも問題があると思います。

これも報道によるところですが(報道は通常は裁判官がマスコミ向けに出す判決をまとめたペーパーにもとづいています)、「国際的な武力紛争が行われ、特にバグダッドは戦闘地域に該当する」ことを前提に、「多国籍軍の戦闘行為に必要不可欠な軍事上の後方支援」をしたのであるから、「自らも武力行使を行ったとの評価を受けざるを得ず、憲法第9条第1項に違反する」という展開だったようです。

さて、憲法第9条第1項は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めています。

「戦争」「武力による威嚇」「武力の行使」のいずれかを、「国際紛争を解決する手段」として用いた場合に、違憲になる、ということになります。

本判決は、「戦争」「武力による威嚇」を認定していません。それでは、「武力の行使」を認定したかといえば、それははっきりしておらず、「武力行使を行ったとの評価を受けざるを得ない」といっているようです。この「評価」は、誰がするのでしょうか。違憲だというのであれば、こうしたあいまいな言葉を使うのではなく、裁判官の責任と判断で「戦闘行為に対する後方支援は、武力の行使にあたる」というべきでした。

そして、仮に「武力の行使」にあたるとしても、それが「国際紛争を解決する手段」に該当するということを、認定する必要があります。今回のケースは、政府対政府の紛争ではないのです。いったいどのような場合に「国際紛争」になるのか、という点について、相手方は武装勢力は組織的であり海外の勢力からも援助を受け相当の兵力を持っていることをもって、国に準じるとして、「国際紛争」になると、判決は論じているようです。しかし、この判決の考え方によれば、国際的な武装テロ組織はすべて国に準じるということになり、そうした組織に対応するのは、すべて国際紛争への武力行使として違憲ということになってしまいます。もちろん、わが国の国内で、国際的な武装テロ組織が武力闘争をおこした場合でも、「国際紛争」になってしまい、それを自衛隊が制圧すれば、それは後方支援などではなく、武力の行使そのものですから、憲法違反ということになります。

国際的な武装テロ組織への対抗が国際紛争になるというこの判決は、難しく考えなくても、間違っていると多くの人は思うでしょう。

要するに、兵力を判断基準とした点が誤りだったのです。逆に、兵力が非常に小さい国家に対して、わが国が攻撃をするとすれば、それは「国際紛争」にならないというのでしょうか。


なお、(まさに傍論であり、これを書くとここに批判が集中しそうな気もしますが)わたしは、自衛隊は、明らかに憲法第9条第2項に違反すると思っています。

自衛隊はあきらかに戦力であり、「戦力は保持しない」と憲法第9条第2項は明示しているわけですから、海外派遣とか、戦闘地域とか、いうまでもなく、そもそも自衛隊の存在自体が、憲法違反です。難しいことを言わなくても、誰にでもわかります。

(読めばわかるのですが、第9条第1項は、ただの宣言文です。第2項が意味を持ちます。それで、第1項に違反するというのは、論理展開が難しくなります。本判決も違憲というなら第2項の「国の交戦権はこれを認めない」という規定に違反するとしたほうがわかりやすかったと思います。)


しかし、わたしは、自衛隊が日本の平和を守ってきたと思っており、これからも日本の平和のために自衛隊は必要だと思っています。

日本の平和を守るために活動している自衛隊員を尊敬しています。


憲法や法律に違反するかどうか、ということは、たんなる言葉の問題です。

自衛隊が必要かどうか、というのは、政策的判断、すなわち政治の問題です。こちらのほうが重要です。

憲法違反だからやめるべき、と政治家がいうのは、わたしにはまったく理解できません。先にも述べましたが、国権の最高機関を担う者として、それは情けないと思います。

必要かどうか、やるべきかやめるべきかという判断が先にあり、それにしたがって、憲法や法律をつくっていくのが政治家の仕事のはずです。


違憲かどうか、違法かどうか、「そんなことに関係なく」、やるべきかやめるべきかということを、しっかり検討してほしいと思います。

しっかり検討したうえでの判断が、違憲といわれたり、違法といわれたのなら、憲法や法律を変えればいいのです。もちろん、違憲といわれたり、違法といわれたりしないように、変えておくというのがより望ましいことは、いうまでもありません。