海上自衛隊艦船の衝突と防衛大臣の責任について | 第6の権力 logic starの逆説

海上自衛隊艦船の衝突と防衛大臣の責任について

海上自衛隊の艦船「あたご」と漁船の衝突事件について、石破防衛大臣の責任問題が、マスコミや政治の場で書かれたり発言されたりしています。これまでの、そして現在の報道の状況や、一部の政治家の発言には疑問がありますので、書いておきたいと思います。


今回の事件では、まず第一に優先されるべきは、被害者の探索です。第二が、事故原因の究明です。これは、まず誰にミスがあったのかという直接的な原因と、次にそのようなミスが発生した背景(訓練に問題はなかったか、マニュアルに問題はなかったか、組織全体の認識や雰囲気に問題はなかったか等)を究明する必要があり、今後の防止策につなげていかなければなりません。第三が、迅速かつ正確に情報伝達がなされたなかったことの反省と、その原因の究明です。誰にミスがあったのか、なぜミスがおこったのかを究明して、今後の改善につなげていかなければなりません。そして、最後、第四に、誰がどのような責任をとるのか、ということになるのだと思います。

しかし、現在の報道では、石破防衛大臣の責任論が第一にとりだたされ、第二に情報伝達の問題となっており、事故原因の究明はほとんど論じられず、被害者の探索状況については情報を見つけることも困難です。優先度が逆転しているのではないでしょうか?


情報伝達の問題については、「隠ぺい」「虚偽」という言葉が使われていますが、これは誤解を招く言葉だと思います。どちらの言葉も「悪いこと」だというイメージがある言葉です。使っている人は、あえて誤解を生じさせようと使っているのだろうと思います。

まず、確認しておくことは、石破大臣や防衛省が隠していた情報が、他のソースから漏れたためにわかった、ということはありません。すべて、防衛省から隠されずに情報が出ています。普通は、「隠ぺい」とか「虚偽」といった言葉を使うケースではありません。

問題があるとすれば二つです。一つ目は、誤った情報が出され、それが後で修正されたということです。二つ目は、情報が出るのが遅かったということです。

情報伝達は、早ければ正確性が損なわれ、正確性を重視すれば遅くなります。正確性が損なわれていることを「虚偽」といい、遅いことを「隠ぺい」だと、一部の人が言っているわけですが、この言葉使いの問題はすべに述べたとおりです。

有事の対応としては、スピードが優先されるべきだと思います。不正確でも、未確認でも、早く責任者に情報が伝達されることが必要です。後で修正したり、確認すればよいのです。情報の遅れは致命的になりえます。

今回の事件は、大臣への情報伝達が遅かったという点では、問題があったと思います。逆に、誤った情報が伝えられたということは、あまり強く責めるべきではないと思います。

そして、スピードが優先されるべきなかでも、緊急性のある情報と、そうではない情報があるはずです。

この事件では、衝突の事実がまず迅速に責任者である大臣に伝えられるべきであり、次に、自衛隊艦船と漁船の被害の現況が伝えられるべきであり、その時点で、なにをおいても探索優先という意思決定がなされ、探索が迅速かつ徹底的におこなわれるべきである、ということは、おそらく異論がないのではないでしょうか。

事故原因に関する情報、たとえば自衛隊艦船がいつ漁船を認識したのか、といった情報は、緊急性のある情報ではないはずです。また、事故原因に関する情報は、後から修正されたとしても、とくに問題のない情報のはずです。

それにもかかわらず、事故原因に関する情報に、報道が集中しているのはなぜでしょうか。

事件が発生したとき、報道機関に提供された事故原因に関する情報は必ずしも正確性が担保されたものではなかったのではないでしょうか?報道機関は、強く要求し、事故原因について、未確認の情報を聞き出したのではないでしょうか?そうした情報であったにもかかわらず、報道機関は断定的に報道してしまったことはないでしょうか?ところが、情報が修正されたために、報道機関は誤報をしたことになってしまい、その誤報の責任を情報ソースにぶつけることによって、自らの責任を回避しようとしたということはないのでしょうか?

そうした自己防衛や責任転嫁が本当にないのか、報道機関はよく考えてほしいと思います。


なお、ここで、情報伝達について気をつけておくべきことがあります。現場から責任者である大臣への情報伝達がスピード優先だとしても、責任者である大臣から報道機関や国民に対して情報を伝達する場合には、スピード優先とは一概にはいえないということです。情報が錯そうしたときに、確認がとれるまでは情報伝達を待つ、あるいは、修正を待つということが、一概に悪いことだとは思えません。


最後に、石破防衛大臣の責任について書いておこうと思います。

このブログの趣旨からは、石破防衛大臣を擁護する論陣をはるべきなのですが、この事件は、石破防衛大臣の責任問題となりうる事件だとわたしは思います。

自衛隊艦船は軍事力という強大な力を持っています。国民の生命と生活を守るために、その力が与えられているのです。力が与えられた者は、その力を濫用してはならず、その力の「暴走」がないようにしなければならないのです。これは、非常に重要なことです。警察官や、ライフルの使用許可を得ている人が、銃の管理や発砲について厳格なルールが課されているのと同じです。

さらには、自衛隊が軍事力を与えられたのは、国民の生命と生活を守るためですから、その力によって国民の生命や生活が脅かされるとすれば、それは自衛隊や軍事力自体の信頼低下につながります。軍隊への信頼がなくなることは、自衛力の低下につながりますので、国家の安全は危機に直面することになります。

したがって、この事件は、大臣の結果責任が問われうるほどの大きな事件です。そのくらい大きな事件であり、問題なのだということを、自衛隊関係者が認識するためにも、大臣の結果責任を問うのだということには、合理性があると思います。

他方、問われるべきなのは結果責任であって、石破防衛大臣の資質や能力に問題があるとされたわけではありません。辞任という責任のとり方が正しいのかどうか考える必要があります。また、仮に、石破防衛大臣が、結果責任をとって大臣をやめたとしても、将来また挽回・登用のチャンスが与えられてしかるべきだと思います。