規制改革会議の第2次答申について
12月25日に、政府の規制改革会議の第2次答申が出ました。
このなかの、労働分野について、書いてみようと思います。
先日、労働契約法について、従来の法律では労働契約の期間は短いほうがよいとされてきたが、労働契約法では労働契約の期間は長いほうがよいという考え方が規定されている、と書きました。そして、期間の定めのない労働契約は、従来は、最も期間の短い契約と考えられたのに対し、この労働契約法の考え方では期間の定めのない労働契約は最も期間の長い契約と位置づけられる、と書きました。
しかし、政府の第2次規制改革会議は、労働契約は長いほうがよい、という考え方に反対しています。
成立したばかりの法律と、違う考え方が示されているのです。
第2次答申の内容を引用してみます。
「一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めるほど、労働者の保護が図られるという安易な考え方は正しくない。場合によっては、既に権利を持っている人は幸せになるが、今後そのような権利が与えられにくくなるため、これまでよりも不幸になる人が出てくることにも注意が必要である。」「正規社員の解雇を厳しく規制することは、労働者の使用者に対する『発言』の担保となるどころか、非正規雇用へのシフトを企業に誘発し、労働者の地位を全体として脆弱なものとする結果を導く。」「解雇規制の緩和をめぐって・・・転職が容易になることで労働条件が緩和さzれ、結果として転職する必要がなくなる側面があることを見落としてはならない。」「労働市場における過度の解雇規制は・・・労働者が雇用されないリスクを高め、あるいは労働者をより劣悪な立場に追いやるという弊害をもたらしている。」
そして、「立法の責任を十分に果たすためには、判例が作り出した現状が政策的基準から見て望ましくない場合には、それ以上の判例への依存は断ち切り、迅速適切な立法により今後のより妥当な司法判断が導かれるよう措置されるべきである。」
このような観点を踏まえ、「解雇権濫用法理の見直し」を提言する。
「民法627条1項では、期間を定めない雇用契約は・・・いつでも解約申し入れできるとされてきた。しかし、その後の判例で、使用者からの解約申し入れ(すなわち解雇)は厳しく制限されてきた。」「解雇権濫用法理が確立し、平成15年に同法理は労働基準法18条の2として明定され、同19年には、その内容が労働契約法16条に移された。」「すなわち、解雇権や雇い止めは著しく制限されており、しかも、これらはいずれも、どういう理由と手続きの下で解雇あるいは雇い止めが有効となるのか、予測可能性が低い。」「そこでまず・・・・当事者の自由な意思を尊重した合意に基づき予測可能性が向上するように、法律によってこれを改めるべきである。」「業務内容・給与・労働時間・昇進など処遇・・・客観的細目を雇用契約の内容とすることを奨励することにより、判例頼みから脱却し、当事者の合致した意思を最大限尊重し、解雇権濫用法理を緩和する方向で検討すべきである。」
答申は、どのような場合に解雇されるかということも、当事者が事前に合意しておくべきであり、その合意を尊重するのがよいとしているようです。
また、解雇の制限と、使用者による労働条件の一方的変更は、セットで考えるべきものだが、解雇の制限を緩和して当事者の合意を尊重するのであれば、使用者による労働条件の一方的変更も否定して労働条件においても合意を尊重する、ということだと思われます。
また、答申は、「労働政策の立案にあたっては、広く労働者、使用者を含む国民や、経済に及ぼす影響を、適切に考察する・・・ことが必要なはずである」と述べていますので、実際には、こうしたことが考察されていないと考えているわけです。
わたしも、基本的には、この答申と同じように考えています。解雇の制限をどうするかというのは、最後は判断なのでしょうが、これまで、しっかりとした考察がされることなく、決められてきてしまった、というのは、そのとおりだと思います。
規制改革会議は、ワーキンググループに分かれて検討をしてきましたが、平成19年5月21日に発表された同会議の再チャレンジワーキンググループ労働タスクフォースのレポートは、この答申よりもいっそう強い、素直な表現がなされています。
引用してみましょう。
「労働者保護の色彩が強い現在の労働法制は、逆に、企業の正規雇用を敬遠させ、より保護の弱い非正規社員、なかでもパートタイム労働者党の雇用の増大につながっている」「解雇規制を中心として裁判例の積み重ねで厳しい要件が課され・・・人的資源の機動的な効率化・適正化を困難にし、同時に個々の労働者の再チャレンジを阻害している。」「社会全体での適材適所の人材配置を図っていくことが肝要である。生涯一企業で働くことを前提とした労働法制・・・を抜本的に見直し、流動性の高い労働市場を構築して初めて、働き方を変えたいと思う個々人が、意欲や努力により働き方を変えることができ・・・再チャレンジが可能な社会となりうる。」
そして、「労働市場に対して法や判例が介入することには根拠がなく・・・真に労働者の保護とならない規制を撤廃することこそ、労働市場の流動化、脱格差社会、生産性向上などのすべてに通じる根源的な政策課題である」と論じます。
労働力の流動化、すなわち、労働者からみれば転職、使用者からみれば採用と解雇が活発化することが、必要であるというのが、基本的な考え方のようです。
解雇権濫用法理については、「判例により人為的に作りだされた一種の『解雇権を排除する協力かつ不明朗な規制』」であり、「そうした規制自体の不条理を直視し、その強さの範囲を見直すことが先決である」と、全否定をしています。
さらに、「行政庁、労働法・労働経済研究者などには、このような意味でのごく初歩の公共政策に関する原理すら理解しない議論を開陳する向きも多い。当会議としていは、理論的根拠のあいまいな議論で労働政策が決せられることに対しては、重大な危惧を表明せざるを得ないと考えている。既得権にとらわれず、あらゆる層の労働者すべてに対して開かれた平等な労働市場を確立していくことこそ、再チャレンジを可能とする真の労働改革であろう」と述べ、答申よりも強烈な批判となっています。
内容的には答申とタスクフォースのレポートは同じですが、タスクフォースのレポートのほうが、素直に、遠慮なく強い表現で書かれている分だけ、わかりやすい内容となっています。
わたしも、解雇権の制限が、人為的に作り出されたもので、そのさいに、ごく初歩の公共政策に関する検討さえなされてこなかったと思っています。
また、わたくし個人としては、タスクフォースの主張する、労働力の流動性を重視する考え方を支持しますが、ただ、こうした検討を十分にすることが必要であり、その結果としての政策決断は、どちらかが絶対的に正しい、あるいは誤っているというものではないと思っています。
しかし、平成19年11月に成立した労働契約法と、12月に示された政府の規制改革会議の答申は、まったく逆の方向を向いており、政策判断がどのような方針によっていくのかわからない、というのは、たいへん困ったことであり、混乱をまねきます。
なお、実定法の解釈、司法判断としては、解雇権濫用法理が誤っていることは、論じるまでもありません。解雇の制限についての議論は、それを確認することからスタートするのがよいと思います。