『17歳少年の起こした事件と今の世情』
昨今起きた17歳の少年の事件、殺人事件とバスジャック。前者は「人を試しに殺したかった。」後者は「アット言わせて世間に知られたかった。」 そこには人命の尊さや、人に対する思いやりのかけらも見うけられない。単細胞的な自己願望の発露。その後も連鎖反応として同じ世代の事件が続いている。その背景に何が潜んでいるのか。学校でのいじめ、家庭不和等々。表面上では、色々な事が言われているが、もっと根源的なものがありはしないか。私なりの考えを述べたい。
まず、1つは世紀の変わり目で、この地球のエネルギーというか、波動と言うか、これが大きく変化していて、それを受け入れる能力、同調できない人が現われてきているのではないか。そのような人が起こす事件。次に我が国に限って言えば戦後55年たった今、世代の大きな変わり目にあたり、次の世代に対する不透明さに起因するとまどい、自信のなさ等で大人がもがき苦しんでいる。その反映が子供達の様々な事件として、世の中を騒がせているのではないか。それからもう1つ見のがしていけないのは、I.T革命といわれるコンピューターや携帯電話の普及。勿論これらの普及によって私達の生活が大幅に便利になったには違いない。しかし物事には必ず、「裏表」、「プラスマイナス」、「陰と陽」があってこれほどの利便性をもたらしてくれたからには、それの反動が何もないとは考えられない。それが何かといえば、今までに人類が経験した事のないほどの、大量の電磁波を私達は日常浴びている。一昔まえには、電磁波を発する物なんか、テレビか電子レンジ位。それが現在では、5000万台を超える携帯電話に加えて、パソコンの普及。子供から大人にいたるまで、電磁波の影響を受けない生活は想像できない。ではその影響とはどれほどか、どのような影響があるのか、特定できていない。大量の電磁波を浴び続ければ、色々な腫瘍にかかり易いとか、体調不良になるとか、情緒不安定になるとかいわれている。我々は、身をもって毎日人体実験を繰り返しているのだ。かって、自動車の大幅な普及によっておきた負の面。「交通戦争」と言われた多くの交通犠牲者の発生。今回は「電磁波戦争」とでもいうのか、目に見えてこないだけ厄介だ。
「閑話休題」先日体験したJR車内での出来事。「二日市」駅で乗車した列車は満席。私は勿論立ち席。2,3人前に70過ぎのおばあちゃんが私の後に乗車された。彼女の両側の座席には、一方に20歳位の青年、隣に50歳位のサラリーマン。もう一方には、20歳くらいのお嬢サン。隣は40歳位の女性。オジサン、オバサンが通路側。すなわち、おばあちゃんはサラリーマン氏の目の前に立っている。さてあなたがこの4人の中の1人ならどうする?じっと観察していると2人の若者は居眠りで知らぬ顔。サラリーマン氏はと見ると、経済新聞に首をつっこんで全く無視。残りの彼女はというと、何か申し訳なさそうにモジモジ。「勇気をだしてかわったら」と私はいらぬオセッカイの念力を送り続けてみた。2,3駅すぎると件の女性は、おばあちゃんに席を譲った。これも、17歳少年の事件と何か相通ずるものがありはしないだろうか?私の考えすぎか?