『遠くて遠い第二の母国 ②』 | 想いの道 ~会長の独り言~

『遠くて遠い第二の母国 ②』

 五月号に続く第二回目です。

ブラジルの話をすると、必ずと言っていいほど尋ねられるのが「何でブラジルに行ったの?」

それを説明するだけでもこの新聞全部の紙面が要りそうですので、いつか機会があれば、皆さんに直接お伝えすることにしておきましょう。



       想いの道 ~社長の想い~


 サテ、上の写真は牧場の管理施設です。中央のやや左側が私の住まいで、右側は倉庫になります。その横に斜めに細い道が上から下に見えますが、これが牧場のメインストリートです。写真の上に見えるのが牛の追い込み場。白っぽい固まりが追い込まれているのが分かりますか?これは牛の群れです。我が牧場の牛は白色で、オスには背中に大きなコブがあります。この中で予防接種や焼印をします。現地人の牧童が四、五名で二千頭ほどの牛を管理していますが、彼らは読み書きさえ十分ではないのに、牛に関しては凄い能力を持っていて、この子牛の母親はこれとすべて一目で指摘します。私が見てもどれも同じような顔にしか見えないのにすごいですね!!


私がまだ牧場にいた頃の彼らの暮らしぶりといえば、電気がやっとつながってテレビを見ることが出来たくらいの質素なものでしたが、今回の訪問では、彼らは中古車ではあるけれどもマイカーを持ち、携帯電話まで所有しているのには驚きました。やはりブラジルも進歩しているのでしょう。


下の写真は、上段の写真よりも更に拡大したものですが、下半分に樹木の列が何本もあり、その間が牧草です。三〇年前に購入した時は樹木ばっかりで、道はおろか何の空間もない森でしたが、それを切り開いてこの様な牧場地にしたのです。開拓当初は、広場にテントを張って大勢の現地人を指揮して、伐採、家や倉庫、牧童の住居建築、掘りぬき井戸の掘削と大工や作業者の手配、資材の購入、水の手配と、血の小便が出るほどの奮闘振りも今や懐かしい思い出です。三三歳という年齢だからこそなせたのでしょう。
        想いの道 ~社長の想い~

 その思い出の場所を手放さなければならないのも、時の流れで止むを得ませんが、一抹の寂しさを覚えて、私の遠くて遠い第二の母国、ブラジルの報告は終わります。