『ブラジル紀行』 | 想いの道 ~会長の独り言~

『ブラジル紀行』

 今から夏を迎える地球の裏側(と言ったらブラジル人は、日本がブラジルの裏側と言って怒る)ではなく反対側の国ブラジルに、1996年以来4年ぶりの訪問。皆さんご存知とは思うが、私は社長になるまでの10年間(1976年から1986年迄)ブラジル人でした。長女と次男の悠二はブラジル生まれ。成田を飛び立ってロサンゼルス経由サンパウロまで25時間の長旅。時差12時間。と言うことは日本の正午があちらの真夜中。朝7時にサンパウロ空港につくが、入国審査、税関検査に1時間半以上。ブラジル国旗の中心部分には「Orden E Progresso」(秩序と進歩)と国の目標が掲げられているが、相変わらずの無秩序。何度訪問しても、進歩の様子がない。「二十世紀の大国」と言われてきたが、もうじきその二十世紀も終わろうとしている。二十一世紀を迎えたら、何と言うのだろう。まさか臆面もなく「二十一世紀の大国」とは言うまいと思うが。

 さて空港には、ブラジルの良き友人、HORACIO(オラシオ)と素子夫人が出迎えにきてくれた。2人は小生の仲人で結ばれたカップル。彼の父上、山内 博氏が今年の正月に年の天寿を全うされたので、お墓参りに空港から550キロの彼の故郷に車で移動。7時間あまりのドライブで到着。我が牧場はそこから更に600キロ以上の奥地。管理をお願いしている元工場長砥綿清治君の弟、新次君にここまで出向いてもらった。一泊して墓参りも済ませ一路牧場の町、南マットグロッソ州カンポグランデ市へ。専用自動車道は行けども行けども一直線。地平線の彼方までひたすら真っ直ぐ。新次君の家は私を迎える為ではないが、リフォームが終えたばかりで、3人の子供共々大歓迎をしてくれた。暑くて寝苦しい夜を過ごして翌日は懐かしの我が牧場へ。ただ今1800頭の肉牛がいるが、これを3000頭迄増やす為の新しいプロジェクトの確認が今回の旅の目的。すでにその為の工事も進んでおり、4,5年後には完成予定。

 翌日は牧場近くの昔の仲間と釣行。牧場から更に奥に車で2時間程の、アキダウアナ川へ。川幅40m位。半日の釣果は写真の如し。其の夜は大勢の昔仲間と釣ってきた魚を刺身にして酒盛り。大いに盛り上がった。

 5日間の滞在のあと、サンパウロへ。今度は飛行機での移動。それでも1時間半、福岡―東京間の距離。HORACIO夫妻の迎えで市内のホテルへ。昔住んでいた通りも経営していたビデオクラブの辺りもあまり変化なし。只高層ビルが益々増えた。市内での大きな変化は、日本の車を数多く見かけたことだ。三菱のパジェロや現地生産のピックアップトラック、GTO、エクリプスまで走っているのにはビックリ。トヨタのカローラとホンダのシビックは現地生産。ただし値段は日本の2、3倍。一般人には手が出ない。こんな車に乗っているのは、大金持ち。

 3日間のサンパウロ滞在中は、美味しいブラジル料理を堪能した。ブラジルのバーベキュー(シュラスコ)や豆と豚のゴッタ煮(フェジョアーダ)も勿論腹一杯いただいた。日本の次に食事が美味しいのは絶対ブラジルと私が主張するとブラジルの我が友は、ブラジルの次が日本と言い返す。それ程美味しい食事が味わえる。我が2番目の故郷は、懐かしく暑く私を歓迎し、送り返してくれた。

 ありがとう、OBRIGADO、BRAZIL!