大人のためのピアノ教室 「奈良シニアピアノ教室」の野村です。

 
 今から16年ぐらい前かな、息子は浜学園で勉強していました。成績はまあまあってところで、授業についていくために、さらに塾へ行き、
家庭教師がつきました。始めは奈良県医科大学の生徒さんでしたが、すぐにはっきり断られました。(理由不明)それで、算数は京大理工学部の生徒さんに、国語と理科は近畿大農学部の生徒さんにみてもらうことにしました。
 もちろん旦那さん(副業で塾も経営していました)も勉強をしっかりみていました。
 合格でした!!
 しかし、今振り返ると、浜学園は確かにいい塾でしたが、うちの息子はのんびり屋さんだったので、もっと普通の塾でゆったり勉強すればよかったと反省しております。
 確かに合格できましたが、レベルの低い中学校でも公立でもよかったのではないか~とも考えました。
 
入学後が肝心~
 
 
 さて、晴れて第一希望に合格できました。3つ受けて1つが不合格でした。
 合格してからが大変でした。ついていけないのです~。
 慌てて家庭教師をお願いしました。今度は業者さんを通して派遣してもらいました。
 息子の成績はどんどん低迷していきます~。
 
 
 高校へ入るときは、テストはガタガタ、本来高校へは不合格のところを、本人の生活態度が良好だっため、無事併設の高校へ合格できました。
 
 私立中学に入っても、いじめはあります。ただ、軽いという程度です。息子も絡まれたことがあります。親が学校に報告すると、生徒は次同じことをすれば即刻退学、今年の学校の行事には参加させない、というペナルティーが課せられました。しかし、息子は親がちくったということがクラス中に知れ渡り、それから無視されることが多くなり、クラス替えまでしんみりとした登校となりました。
 それから起きたことが適応障害。せっかく合格したのに、ついていけない大変さから心が乱れました。
 
 
 ちょうど、交換留学を個人的に申し込んでいたので、どうするべきか医者と相談しました。医者はぜひとも環境を変えるべきだ、と言い、学校側は日本の学校に来れない生徒が、他国で勉強できるのか?でした。息子は帰国生でしたので、問題なしと親は考えました。
 決まっていた学校はNY。渡米して1週間で適応障害は治りました。自由大国の空気だと思いました。日本と違い楽しい留学生活を送りました。
 
 
 1年後日本に戻ると息子は迷うことなく、日本の高校を辞めました。そしてアメリカの私費留学に切り替えました。しかし、本人の頭は普通なので、SATやTOEFLに悪戦苦闘し、アメリカの大学に入れるレベルまでと到達しませんでした。かといって、日本の勉強をまる4年していなかったので、センター試験は無理でした。
 帰国生入試で受けました。滑りまくりました。受かった大学は一般的な大学でした。
 あの大変だった浜学園時代からしてみれば、一流大学や医学部とは無縁の普通の大学でした。
 
 大学を卒業してまた、試験を受けまくり受かった大学院もごくごく一般的なところでした。