先日(2023年1月24日)、大学の恩師が亡くなりました。

恩師は、満年齢90才で、死因はガンです。

最後は、緩和ケアの一環で、自宅に戻り、家族と過ごしたそうです。

 

私が恩師と、密度濃く接した期間は、ゼミが決まった大学3年の後半から大学院修了までの3年強です。

出会いは、大学1年生の時です。

当時、私の学部は、1年次の教養キャンパスと2年次以降のキャンパスが離れていて、1年次に、2年次以降のキャンパスの近くにある大学の研修所で、泊まり込みのセミナー(中身は、学科紹介と学生と先生の親睦会)がありました。

 

私が所属した学科では、当時、

・リモートセンシング

・画像解析

・バイオテレメトリ

・音響技術

・アンテナ等電磁波

・海洋変動

・海洋政策

などの研究室があり、入学当初は、「バイオテレメトリ」に興味を持っていました。

 

ちなみに、バイオテレメトリとは、「電波発信機や超音波発信機を渡り鳥や魚、ウミガメ等に装着し、遊泳行動や位置情報などのデータを取得できる手法」です。

泊まり込みの研修では、大学側が決めたグループに分かれ、ディスカッションする研修があり、グループ毎に教員と大学院生が配置されました。

 

私が振り分けられたグループの教員が、後の恩師です。

正直、グループ討議が始まったとき、他のグループの先生の中には、社交的な先生がいて、盛り上がっていましたが、私のグループは、盛り上がりに欠けました。

ただ、食事の後の懇親会で、後の恩師の「身の上話」を聞いて、すっかり関心が湧きました。

 

詳細は省きますが、私の恩師(電波工学が専門)は、山形県出身で、中学を卒業したら漁師になったそうです。

その後、漁師として、大波に遭遇して遭難しかけて、「漁師は命が持たない」と悟り、陸に上がったそうです。

そこからの歩みが、当時の私には衝撃でした。

確か、当時、難関の国家資格である無線通信士に合格し、国家公務員になったのですが、国家公務員は、「学歴社会」という現実に直面して、大学検定試験を経て、30才で東京工業大学に入学。

その後、恩師は、博士課程に進学し工学博士号を取得しているので、大学院を卒業した頃は、40才近かったはずです。

ただ、40才では、一般企業の職はなく、国立工業高等専門学校の教員になり、私が在籍した大学の先生になったそうです。

 

ハタチ前の私にとって、このセミナーでの恩師との出会いでお聞きした経歴は衝撃的で、「この先生の元で電波通信技術を学びたい」と1年次に決意し、研究室に入りました。

大学院卒業後に恩師とお会いした回数は、修士論文作成中の後輩の陣中見舞いや先生の退任・名誉教授就任時など10回程度とそんなに深い繋がりは、ありませんでした。

しかし、大学院卒業から20年近く経った頃でも、「論文が締め切りまでに作成できずに、うなされる夢を見て起きる」ことが、1年に2~3回ありました。

 

現在の仕事は、大学時代に専攻した学問や恩師との研究は直接的に関係していませんが、Amazonで、私が卒業後に先生が執筆・出版された「電気回路」などの本を見つけたので、購入して、ひさびさに電気回路の基礎を学び直そうかな、と思います。

(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ840号より)
 

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