(前編の続き)
《ストローマン論法の事例(発言の切り取り)》
Aさん
「最近の子供同士いじめ問題は深刻だ。中には、学校の先生などにSOSを出しているのにも関わらず、無視されるケースもあるのだとか…また、教育委員会が自己保身のために、いじめの事実を隠蔽するケースもあると聞く。」
「このような話ばかり聞くと、我が子のことが心配で学校に行かせたくなくなる。」
Bさん
「こどもを学校に行かせたくないとはなんたることか。」
「国民の三大義務の一つである教育の義務には、「その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。」とある。つまり、保護者であるあなたには教育を受けさせる義務があるのだ。その義務を果たそうとすらしないその姿勢は、断罪されるべきものだ。」
みなさんもすぐにわかると思いますが、「発言の切り取り」は、「学校に行かせたくない」です。
Aさんは、
「子供同士のいじめ問題に不安を覚えて、安心して学校に行かせたくない」
と、「学校教育に関する不安や不信感などをのべ、学校に行かせたくない」と発言しています。
それに対し、Bさんは「学校に行かせたくない」のみを切り取り、反論しています。
このように、ストローマン論法のような「詭弁」は、生産性がなく、互いの心証を悪くしてしまうだけです。
《議論の歪曲に対する反論》
「議論の歪曲」に対する反論の事例として、
「Aには、それに付随してBやCのことも起こり得る。つまり、Aを認めてしまえば、それに付随するBやCを認めることになるのではないか?」
と「議論の歪曲ではない」と主張する人もいます。
つまり、「Aにより、BやCの可能性について、言及しないのは、議論の放棄である」との主張です。
もちろん、ものごとには「例外」があるので、BやCの可能性を議論することは必要ですが、その度合いがポイントでしょう。
あまりにも飛躍しすぎると、反論された側は「議論の歪曲」にしか見えなくなります。
討論番組などにおいてのディベートを「相手を言い負かすことを主眼に置く」人は、こうした「論理の飛躍」を巧みに駆使します。
しかし、ディベートや討論は、「討議し尽くした上で、相手の論理の良し悪しを参考に結論に対して、お互いの意見の落とし所を追求することが目的」です。
相手の主張のつぶし合いは「討論番組のショー」と化してて、「無意味な議論だな」と感じながら、自分の中で分析して議論を捉えるのがいいのかもしれません。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ816号より)
【好評発売中!】
『事例で学ぶコンプライアンスⅠ』
(トータルEメディア出版)
事例で学ぶコンプライアンス Ⅰ | TEM出版書店 (total-e-media.jp)
事例で学ぶコンプライアンス | 有賀正彦 |本 | 通販 | Amazon
『できるビジネスマンのマネジメント本』
(玄武書房)
https://www.amazon.co.jp/dp/4909566066/
【よかったらメルマガ読者登録お願いします♪】↓
(パソコンでアクセスしている方)
http://www.mag2.com/m/0000218071.html
(携帯でアクセスしている方)
http://mobile.mag2.com/mm/0000218071.html
Twitter:https://twitter.com/ariga9001