月日が経つのは早いもので、今日(午後246分)で、東日本大震災の発生からまる5年になる。

2016311日の日本テレビのニュースによると、

◇岩手・宮城・福島の3県では約5万8000人が仮設住宅での生活

◇1万5894人が死亡し、2561人が行方不明

◇完成した災害公営住宅は、3つの県で計画のほぼ半数にとどまっている

◇福島第一原発の事故の影響で約9万7000人が県内外での避難生活を送っている

というから、あらためて、まだまだ復興は進んでいないということがわかる。


阪神淡路大震災(1995117日)の5年後と言えば、20001月であるが、私は、1998年~1999年にかけて、神戸市に事務所がある会社に勤務していたので、その時の印象でいえば、すっかり街は震災前の状態に戻っていた気がしている。

東日本大震災の後に発生した津波による被害が大きく、そのため、復興が阪神淡路の時に比べて遅れているという面もあると思うが、被災地が都市か地方かの違いも復興までのスピードに影響が出ているのではないかと思う。


2011311日の自分を振り返ってみる。

311日は、宮城県遠刈田郡に出張していた。

地震が発生した246分は、ある工場の監査をしていた時で、工場内を巡回中だった。

地震発生後、事務所に戻り簡単な報告書をまとめ、その工場の職員の方の自動車で、JR白石駅まで連れていってもらった。

しかし、電車、バス、飛行機(仙台空港)の運行はしておらず、白石駅前のビジネスホテルに避難し、電気が通っていない、そして暖房が利かない部屋で寒さに凍えながら一夜を過ごした。


翌日の12日になって、ホテルのラジオと新聞で津波による被害がすごかったことを知った。

その日は、ホテルに留まって、平成7年に復元された白石城を見学したり、食料品を求めて行列ができているスーパーを見学したりして過ごした。

12日の夜になって、ようやくこのままここにいてもどうしようもないことがわかり、13日に脱出を試みることにした。


13日は、まず、朝8時に白石から福島空港へ向かう。

福島空港に着くと3日先のフライトまで予約は埋まっていることを知る。

そこで、タクシーを乗り換えて、宇都宮(19時ごろ到着)まで行き宿泊。

14日は、JRで羽田空港まで向かうはずだったが、計画停電により、JRが動かず、タクシーで大宮駅まで行き、そこから電車で羽田空港に到着し、新千歳空港経由で札幌まで帰ってきた。


震災を通じて、感じ、行動に移したことはいろいろあったが、一番変わったのは、やはり「ダイエットをしたこと」でしょう。

当時74キロ程度あった体重を減らしたく、4月からランニングを開始して、7月には10キロ減の64キロになった。

この年は、瞬間最大風速(笑)で、58キロまで体重が落ちたので、16キロ落としており、半年から1年ぶりに会った知人たちからは、「病気になったんですか?」と疑われるほど別人の顔になっていたようです。


月並みですが、今日の午後246分は、黙とうして、しみじみと5年間を振り返ろうと思います。

(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ480号より)


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