人々の記憶にまだまだ新しい「東日本大震災」発生の日は、2011311日。

東日本大震災の後、人生を見つめ直した人は多いと聞きますが、私も「プチ」そんな中のひとりです。


というのも、学生時代は、「大学生になってから始めてもトッププレーヤーになる可能性があるスポーツ」ということで、ボウガン射撃(英語名:クロスボウ)をはじめ、幸いにも1992年にニュージーランドで開催された第6IAUクロスボウ世界選手権に出場する機会があり、社会人になっても1997年ぐらいまでは、クロスボウを競技者として活動していました。

しかし、その後の145年は、冬場にスキーに行く(ひとシーズンに1040数回)程度で運動らしい運動は、まったくやっていませんでした。


しかし、東日本大震災があった時は、40歳を過ぎ、中年太りが気になってきたころでしたので、多くの中年ランナーと動機は一緒ですが、「仕事が減った分、ジョギングを習慣化してダイエットしてみよう」となったわけです。

20114月からジョギングを開始し、それから、はや5シーズン目。

2015年のレースを簡単に振り返ってみました。


◇出場:42レース

(内訳)
◇ウルトラマラソン(100キロ):1回完走
◇フルマラソン:23回完走(故障によりDNS1回)
30キロ:1回完走
◇ハーフマラソン:12回完走(故障によりDNS1回)
◇クオーター:1回完走
10キロ:4回完走

(※参考)
100m走:1回出場
50m走:1回出場
◇駅伝:1回出場(3.1キロ担当) 


(プチ振り返り)

毎年目標としている「フルマラソンとハーフマラソンの自己ベスト更新」に関しては、ハーフマラソンは、12月に掛けて3度更新し達成。

フルマラソンの自己ベストは2月の別府大分マラソン自己ベストを更新(2時間5225秒)できました。

しかし、翌月の3月には坐骨神経痛で故障となり、4月に出場した長野マラソンでは自己ワーストの3時間52分と3月以降は、故障との戦いとなったジェットコースターのような1年でした。



9月以降はノルマとしていた月間400キロを止め、250キロ程度にして、その代りストレッチや鍼治療に精を出しましたが、結果は出ていません(涙)

1012月に走った11のフルマラソンは、ほぼ毎レースともハーフすぎから坐骨神経痛がでて、臀部に痛みやしびれが発生し、脚の力が抜ける感じで、失速というお決まりのパターン。


2016年は、レースとゆるジョグを並行してやり、故障回復に努めながら、ラン仲間との交流をさらに深め、楽しみながら、長い目で自己記録の更新を目指していきたいと思います。
各レースでお世話になったたくさんのみなさまには、本当に感謝しております。

月並みですが、2016年も、よろしくお願いいたします。

(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ471号より)



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