阪神淡路大震災から今日でちょうど20年が経過した。

振り返れば、

◇死者6434人、負傷者4万3792人

◇地震発生時刻:午前546

だったあの地震。


わたしは当時、東京虎ノ門にある会社に勤務するサラリーマンであったが、毎朝5時半に起床していたので、早のニュースで、「関西で大きな地震が発生した模様です。詳しい状況は現在、調べています」というような緊迫した様子を伝えていたアナウンサーの表情が印象に残っている。

早朝であったが、学生時代の友人も関西にはたくさんいたので、近い友人に電話した記憶がある。

(当時は、まだ携帯電話が一般的でなく、掛けた電話は固定電話であるが、地震発生直後に、固定電話がつながったかどうかは覚えていない)


関西出張の仕事もちょこちょこあったが、「書類が焼失したの(訪問を)延期してください」というような問い合わせや相談も多かった。

ただ、海外の取引先とのやり取りで、こちらの事情で返事が遅れているような案件には、東京では、業務に支障が出ていないのに、地震を口実にして「日本は、今、地震で大変なんだ。申し訳ない」というような趣旨の英文をFAXすると、「了解した。余裕のある時に連絡をくれ」というような返事が来た記憶がある。


「がんばろうKOBE」という合言葉も生まれ、その言葉をユニフォームに入れたプロ野球球団のオリックスブルーウェーブが仰木彬監督の元、優勝したのも1995年で、パリーグはロッテファンのわたしも、この優勝に感動した。


1998年に、神戸の三宮にある外資系の会社に転職したが、この時は、まだ、街を歩くと、地震の傷跡がうかがいしれるようなスポットもあったが、今では当時の状況を振り返るような場所は、すっかりなくなっている。


それにしても、時の経つのは早いものだな、と感じる。

記憶と教訓を知らない世代に伝えていくのが年長者の役目だと思う。


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