ここは、鹿児島県大島郡与論町。
現在は、人口、約5500人の鹿児島から約600キロ南にあり、沖縄本島までは約25キロ北部に位置する小さな島だ。
写真は、与論空港。
那覇からは、1日1便(6/11からは2便)の40人乗りのプロペラ機が飛んでいます。
与論島唯一のビジネスホテル「キャッスル」。
島で唯一稼動しているエレベーター。
かつて(1980年代)は、与論島への年間観光客は10万人近くだった頃もあり、当時の夏は「セッ●スアイランド」と呼ばれていた時代もあったという。
シモの話になって恐縮であるが、当時中学生だった私は、小学校時代の恩師の実家が与論島のお隣の「奄美大島」だったので、夏休みを利用してお邪魔することになった。
当時、東京の有明からは、奄美大島→与論→那覇という船便があり、確か、「毛布と枕だけがある雑魚寝状態」の3等船室が、学割で片道1万円程度だった。
3等船室は、「大広間」という感じなので、かばんを広げて「陣地取り」をする必要がある。
「陣地取り」をしないと、乗客の大方を占める「大学生の集団」に確保した自分たちのエリアが浸食されてしまうのだ。
当時中学生だった私は、「大学生達が、南国の島でハメを外すぞ!」と熱気ムンムンの様子を見て、羨ましく感じたものだった。
要は、夏はリゾート地で、「ひと夏の経験」をする大学生や女子高生(喪失旅行)がトレンドだったのだ。
だから、与論もそうだが、観光客として遊びに来て、そのまま現地の人と結婚した人が当時は結構いた。
私が、以前与論島で宿泊した旅館の奥さんも北海道出身の方だ。
現地の40代後半から50代以上の方は、当時を振り返ると「夏の夜は、海岸のそこらじゅうで、現地で知り合ったカップルが、やりまくっていて、ゴムや下着が翌朝の海岸に散乱していたという。
与論島は、行政区分では、鹿児島県ですが、文化圏としては完全に沖縄です。
沖縄が日本に返還される前は、与論島の小学校では、朝礼で、沖縄に向かって「♪沖縄を返せ~」という沖縄返還ソングを歌ったという。
・・・話しをもとに戻しますが。。。
仕事で、与論に行くと、夜の食事が大変なのだ。
沖縄では、グルクンはから揚げにしますが、与論では塩焼きがスタンダードみたいです。
チャーハン(このチャーハンに、ちょっと辛口のマーボー豆腐を掛けて食べると絶品です)
「与論の夜は何が大変」かというと、「与論献奉」(よろんけんぽう)という「ならわし」(儀式)があるからです。
簡単にいえば、「与論献奉」とは、【相手に自分のことを知ってもらうため、一杯の杯を順番に持ち、その杯を持つ人だけが自己紹介などを発言し、延々と飲み続ける】儀式なのです。
約7年前に、仕事で与論島に来た時は、「与論島唯一の黒糖焼酎メーカー・有村酒造の「有泉」(原料が米1に黒糖2の割合の約20度の焼酎)」で「与論献奉」が始まり、5人で約3升半(1升は1.8リットル)を空けることになってしまいました。
与論献奉をしている風景 その①
盃になみなみと有泉が注がれ、親が口上を述べて、参加者全員にお酒をふるまう。
そして、親が次の人に代わり、また新たな親が口上を述べて、参加者全員にお酒をふるまう。
これが、延々と続きます。
与論献奉をしている風景 その②
途中から、沖縄の泡盛「残波」(約25度)で、与論献奉が始まってしまいました。
有泉は20度で、この5度の違いが、結構デカイく、あとあと、胃と身体にこたえます。
「今日は、与論献奉はやらないから安心して食事をしてください」と言っていたのに(苦笑)。。。
結局、この日も、ちょっと少なめでしたが、6人で3升空けることになってしまいました
しかし、「キツイ食事会」ですが、年に1階程度なら、あとで「楽しかったな」という思いに駆られます。
与論は「時が止まった世界」ですが、那覇に戻ってきたら、現実に引き戻された感じです。
(もちろん、与論でも仕事だったのですが、なんか、時間がゆっくり過ぎて行くんですよね~)
ふだんは、あまりお酒を飲まないのですが、「与論献奉」の時だけは、覚悟を決めて頑張るしかありません。
この後、ホテルに帰って、爆睡したのは言うまでもありません。
お酒好きの方は、ぜひ、与論献奉を一度は、体験してみてください♪
【店舗情報】
居酒屋 ひょうきん
鹿児島県大島郡与論町茶花2297-1
TEL:0997-97-3557
お食事処 ふらいぱん
鹿児島県大島郡与論町茶花69-2
0997-97-4539