「なぜか謝らない店員が善良な客をクレーマーにしている」現状があるのだという。
この記事を掲載していた日刊ゲンダイの事例では、
「事例1」
「先に注文していたギョーザが、なぜか後に頼んだ隣の客に運ばれてきた。“あの~、注文したギョーザはまだですか?”と尋ねると店員は明らかに<しまった>という顔つき。ところが“今作っています”とバレバレのウソでその場を切り抜けようとした」というケース

「事例2」
「コンビニで中華まんを頼んだ。店員が袋に入れようとした瞬間、ほんのちょっとカウンターにコロリ。店員は、何事もなかったかのように紙袋に入れ直そうとした。“オイ、待て、コラッ!”となってしまう」ケース
を紹介していた。

いずれも、事例1であれば「間違えました、申し訳ございません」、事例2であれば「お取り換えいたします」と素直に謝れば、たいていは「いいよ、待っているから早くしてね」「そのままでいいよ」と苦笑しながら済む話である。
しかし、変に誤魔化そうとするから「ちょっと、おかしいんじゃないの?」と事態がこじれ、逆に客がクレーマー扱いされてしまうのだ。

私も先日、いつもなら730円か810円で済むタクシーが890円になってしまい、ちょっとイラっとしたケースがあった。
この時は、運転手さんが曲がるはずの路地をひとつ間違えて、ひと区画多めに結果としてぐるっと回ってしまったのだ。
当然、走る距離が延びたからタクシーを降りる直前にメーターが上がってしまった。
この時も「ぐるっと回っちゃったんですみませんね」とひと声掛けてくれれば「いいっすよ」と苦笑いで済むのに、ひとこともないから、支払いのやり取りの最中は、お互いが無言のまま、気まづい空気が流れた。

「謝罪の技術」という著書がある目白大学社会学部教授の渋谷昌三氏によると「昔は謝ることへの抵抗が小さかった。ところが今は、勝ち負けだけで判断する世の中だし、負けるが勝ちという大人の余裕もなくなってきている」と分析している。

現代社会は、「心の余裕」は確かにない世の中なのかもしれない。
通勤時間帯の朝のラッシュ時など、必ずどこかで、いい大人が言い争いをしている。
たいていは、肩やカバンがぶつかった、足を踏んだなど些細なケースで、双方が会釈も“すみません”のひと事もなく、「ぶつかっても当然」「謝ったらこっちの負け」とでも勘違いしている人が多いから、大ごとになっている。
冒頭の「事例1、2」や「私のタクシーでの出来事」などサービスする側や、提供される側の客の双方に「心の余裕」と「素直に謝る」姿勢が必要なのであろう。

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