「コピペ ~“ネットの知”とどう向き合うか~」
と題して「コピーアンドペースト」について特集していた。
クローズアップ現代の公式サイトから番組を要約すると、
・ある大学では提出されたレポートの半数近くがコピペで作成されていた
・小中学生向けに開設された「コピペで書ける読書感想文」のサイトが大人気
・役所が募集したパブリックコメントに大量のコピペの「組織票」が提出されていた
・以上のように、コピペは今、社会全体に広がりつつある
・しかし、それによって「コピペは人間の考える力を弱める」と批判の声が出ている
・一方、「新たな知の技法」として肯定的に捉えるべきだとの意見もある
・番組では、私たちはネット上に広がる膨大な情報とどう向き合っていくべきか考える
というような内容だった。
正直、番組を観た感想は、
「自分の頭で考えよう」
と無難な趣旨に終始してしまい「何が問題点で、どんな新たな知の技法に進化していくのか?」という点では訴求が足りなかったんじゃないかな、と思った。
スタジオゲストの脳科学者の茂木健一郎氏は「自分の頭の中を一度濾過させなければいけない。自分は文献を読んだ後は一度頭をオフラインにしてアウトプットするように自分にルールを課している」とおっしゃるし、東大名誉教授の野口悠紀雄氏は「ネットから引っ張ってきた経済データをコピペしての見比べていると気づきがある」という話だし、明治大学教授の齋藤孝氏は専門の身体論と結びつけて紙データ(おもに本)に三色ボールペンを使用して引用箇所を抜き出し、「自らの手でコンピューターにアウトプットを入力する」という話で、要は「自らが実践していること」で「ネット時代の新たな可能性」についてという視点は十分でなかった気がする。
たとえば、IT専門家の視点での取材も必要だったのではないだろうか。
気になったのは「コピペは悪」という論調。
小樽商科大学の経済学史の江頭進教授が提出を命じたレポートの大半がコピペだったという点や金沢工大の杉光一成教授が開発中の「学生のレポートの引用情況を自動的に判別してくれるソフト」を引き合いに出していた点だ。
そもそも、「コピペ」自体は、「昔から“参考文献”、“引用”などとしてあった文章をまとめて整理し、再構築する人間の作業がネット情報とワードやエクセルなど文書や計算ソフトを使用した方法として進化した」だけであり、問題視するべき話ではない。
昔の話で恐縮だが、学生時代に修士論文を書いている時に「自分の言葉や経験などオリジナリティをできるだけ書くのが論文」と当初考えていて、後から「どれだけ学会の論文を引用したり、参考文献を引っ張ってくることが論文の価値として重要」とわかった時は「がーん」となったが、要は「どれだけ参考文献をチェックして自分の文章にしていくかを見習うこと」が学校で学ぶべきことだったのだ。
つまり、「コピペレポート」や「コピペ率の判別ソフト」は「コピペ=悪」が前提になった議論のようで「あれ?」との想いだ。
「自分の頭で考えない」は確かによくないが、「自らの経験知」が欠如している学生がネットを通じていろいろな情報に触れ、「必要個所をコピペして自分の考えとしてまとめあげること」は特段問題ではない。
現代のコピペが、自分たちが紙媒体(本など)の情報から苦労してレポートなど文章をまとめてきた時代と比較し、あまりにも効率的な方法なので、それを「脅威」(あるいは今の子は「苦労しなさすぎ」と妬っかんでいる)と感じているだけだと思う。
英語を勉強するときに「電子辞書は(楽に調べられるから)ダメで、紙の辞書をページがボロボロになるぐらいめくらないと英語は身につかない」と言っているのと一緒のような気がした。
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