銀メダルが確定した記者会見では「素直に喜んでいいんじゃないか」と喜びを表現した。
新聞やテレビの報道より太田選手について、
・小学校教師のお父さんの勧めで小学校3年生から競技を始めた
・始めてから今日まで1日も練習を休んでいない
・中学の行事(合宿)で練習ができなくなりそうな時にも剣を父に持ってきてもらって練習に励んだ
・中高時代の監督は「大きなけがをしても、部活が休みでも練習していた。己にも人にも厳しい」と表現
・2008年3月に同志社大学を卒業し、就職浪人を選択していた。
・フェンシング協会はアテネ五輪後に「虎の穴作戦」を展開し、強化予算(アテネ五輪は約700万、北京五輪では約1億円)の大半を強化指定選手に注ぎ込んだ
・北京五輪では攻撃面を強化したが、勝てない日が続き直前に守備重視に回帰した
などがわかった。
私はこの中では、
1)小学校3年生から練習を1日も休んでいない
2)フェンシング協会の戦略
3)守備重視の攻撃スタイルに回帰
について特に関心を持った。
スポーツのトレーニングに限らず、何事でも「1日も欠かさずに続ける」というのはすごいことだ。
月並みな表現であるが、己に厳しく、精神的に強くなければできない。
特に、野球やサッカーのようにメジャースポーツであれば、周囲の理解も早いが、フェンシングのようにマイナースポーツの場合、他人に説明するのがまず面倒だ。
多感な学生時代は、友達との遊びや飲み会の誘いなどの誘惑という「脅威」があるからなおさらだ。
それから、五輪でマイナースポーツが勝ち、その競技の名を上げるためには「ハイリスクハイリターン」の戦略でないとダメなんだな、とも思う。
野球やサッカーなどの競技人口も多く、「プロ」という将来設計可能な選択肢があるスポーツは、掃いて捨てるほどの競技者の中から選抜していけばいい。
しかし、マイナースポーツの場合は「この選手」と目を掛けた少数のメンバーに資源を集中させ鍛え上げるしかない。
しかし、目を掛けた選手が実は才能がなかったり、将来を考えて「やーめた」と言ってしまえば、目を掛けたメンバー以外に投資していないのだからすべてがパーになる。
最後に「技を創る」について触れておきたい。
技には「創る段階」と「使う段階」がある。
一度「完成した技」はなかなか崩れない。
しかし、「新しい技を作るには時間が掛る」のだ。
つまりさらに進化するために「攻撃重視」に競技スタイルを変える必要があったのだろうけれど、「技を創りきる」までには時間が足りなかったのだと思う。
したがって、「技が創り込まれている守備重視に磨きを掛ける選択」にでたのだろう。
「技を創る」に関しては、トリノ五輪の女子フィギュアスケートで金メダルを獲得した荒川静香選手も同じだ。
五輪の前々年度の世界選手権で優勝したが、新採点方式に変わった前年度は9位と惨敗した。
タラソワコーチ(現在は、浅田真央選手のコーチ)は、高得点が期待できる難度の高い技を組み合わせるプログラムを提案したが、荒川選手は「美しく見えない」との理由でその提案を拒んだ。
「美しく見えない」ことが提案を拒んだ理由になっているが、私には「短期間で技は創りこめない」との想いも荒川選手にはあったと思う。
結局、プログラム構成は高得点が見込める難度を考えて見直したが、それは今までに完成された技の組み合わせの変更であり、新たな技(新たに創るワンランク上の技)は入れなかった。
また、選曲も世界選手権優勝時のトゥーランドットにしたのだ。
つまり「既存の技を磨き、ノーミスで現在の力の限界を出し切る」「優勝した時のいいイメージで勝負する」という策だったのだ。
この場合は、「相手が、自分が持てる技以上で勝負してきたら、負けても仕方がない」という割り切り感が勝負に挑んでいる。
だから選手は「現在の自分の力を出し切りたい」といい、出し切った後は負けても「やるだけのことはやりました」というコメントになるのだと思う。
冒頭の太田選手の「素直に喜んでもいいんじゃないか」は「まだまだ技を進化させないといけない部分はあるが、現在の力は出し切りました」という気持ちなのだろう。
しかし、凡人からすれば「現在の自分の力を出し切れずに悔いが残ることの方が多い」の現実。
そこには「欠かさず継続する」という「自分に負荷を掛けることができる日々の精神力」も重要な能力なのだろう。
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