「居酒屋談義のネタ」を提供するニュースサイトであるアメーバニュースで『米は研がずに“洗う”教科書内容変更』という見出しが躍っていた。
記事によると、現在の小学校の家庭科の教科書では米は「研ぐ」ではなく「洗う」と表記されており、「研ぎ汁」は「洗い水」になっているという。

料理をする人なら誰でも知っていることであるが、「米の研ぎ汁」はホウレンソウやタケノコ、ワラビ、ゼンマイなどの山菜の灰汁(アク)抜きに使うと効果が高い。
アクの成分のひとつであるシュウ酸は米ぬかで効果的に取れるので、米ぬか成分の混じった米の研ぎ汁は効果があるのだ。
しかし、最近の料理本では「米の洗い水」と表記されているものが多いというのだ。

確かに「研ぐ」ということばは、辞書によると
・刃物を砥石(といし)や皮でこすってよく切れるようにする
・米などを水の中でこするようにして洗う
・ みがいてつやを出したり、汚れを取ったりする
とある。
現在の一般的なお米は、精米技術の発達により、米に糠の付着が少ないので力を入れて「研ぐ」と米は割れやすく、炊き上がりがべたつくそうだ。
つまり現在、お米を炊く前に「米を研ぐ(洗う)」行為の目的は「米ぬかをとる」というより「米に付着したゴミなど不純物を取り除く」のが役割の主になっている。
そう考えると「研ぐ」ではなく、「洗う」の方が意味合いとしては近く、適切なのかもしれない。

「米は研ぐもの」という概念を持っている私からすれば寂しい限りであるが、技術の進歩により今では「無洗米」がある時代であるし、「米を研ぐ」という言葉はどんどん「死語」になっていくのだろう。

技術の進歩といえば以前に「麦茶」の話をしている時にも少し感じた事があった。
それは「麦茶は、ちょっと面倒くさいけど、煎った麦を煮出して濾したのがやっぱり美味いよね」という話を一回り以上年下の知人と話していたら、イメージがわかないようだった。
確かに最近の家庭で作る麦茶は「焙煎された麦が紙パック」に入っているし、そもそも煮出さずに「水出し」が主流だ。
「焙煎された麦を煮詰めて、煮出し、濾して飲む麦茶」のイメージがないのも当然だよな、と思う。

話は全く変わるが「煮詰まる」で思い出した事がある。
例えば、「話が煮詰まる」という言い方をした時は「話の結論が出る」「議論が固まる」などが本来の意味だと思うが、最近は「煮詰まってきたので、気分転換にブレイクしましょう」というような使い方をされている人が多い。
この場合の「煮詰まる」は「話が行き詰る」「いいアイディアが出ない」などで使用している。

「現代は言葉が乱れている」など紋切り型の事を言いたいわけではないし、ある程度、言葉はその時代によって、意味や使い方、読み方が変化していくものだ、とも思う。
ただ「自分がその言葉について最初にインプットした時の概念」と技術的背景、言葉を使う人の年代・人生や職業経験などによって「ことばの用法や意味合いは変わるもの」ということを認識・理解していないと「認識・理解力の奥行きが狭い」人になってしまうのかもしれない。

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