2008年4月5日に東京国際フォーラムで開催された首都大学東京の入学式に来賓として出席した石原慎太郎都知事が新入生に祝辞を送ったという。
石原知事はその他にも「自分の個性を磨いてもらいたい。何か趣味を持ちなさい」、「新しい発想のできない人間は全く意味がない」などの言葉も送ったそうだ。
石原都知事の祝辞を全部聞いたわけではないし、部分部分を切り取ってイチャモンをつけるつもりはない。また、その言葉は一般的にはその通りであるかもしれない。
しかし、「なんとなく違和感」も感じる。
それはたぶん、聞き手にとって「心地よい言葉」が並んでいるからだからだろう。
石原都知事の言葉から「心地よいフレーズ」を拾うと「勉強ばかりはダメ」「個性の磨く」「趣味を持つ」「新しい発想」などだろう。
なんとなくステレオタイプ(紋切り型)というか、ポピュリズム(大衆迎合)な感じがするのは気のせいだろうか。
新聞や雑誌、テレビを見ていても聞き手にとって「心地よい言葉」は氾濫している。
討論番組なら「徹底討論」、スポーツ番組なら「今日、伝説が生まれる」。
その他にも「頑張り過ぎなくていい」「ゆっくりマイペースで」「自分らしく」などをよく耳にする。
「徹底討論」といいながら、たかだか番組の20分ほどのコーナーで、上滑りな発言しかしないパネリストの意見が披露されているだけなのに「これが徹底討論?」だと思う。これが徹底討論なら世の中の雑談や井戸端会議も「徹底討論」になってしまう。
また「伝説」とは「うわさ」や「いいつたえ」など「不確かな語りごと」をさすと思うが、スポーツほどデータがはっきりと残るものはない。
「頑張り過ぎなくてもいい」「マイペース」「自分らしく」は、過去の行き過ぎた「詰め込み主義」「没個性」の反動から「人間の行動はそうあるべき」と摺り込まれて来たのだろう。
しかし、単に「人と違う行動を取る人」「他人の考え方が想像・理解できない人」「わがままな人」「努力しない人」が増えたような気がする。
「心地よい言葉」は耳障りがいいし、「それでいいんだ」とつい自分を甘やかし、「そういうものなんだ」とものごとを熟考せず、行動を制限してしまう。
「この言葉の持つ真理は何か」をしっかり捉える力量が我々には必要なのだろう。
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