桑田投手が語った内容によると、
『パイレーツのハンティントン・ゼネラルマネジャーから「メジャーではチャンスはない。投げる機会はない」と通告され、昨年と同様にマイナーからの昇格を目指すという選択肢については「ことしは、そういう気持ちはなく、メジャー一本しか考えていなかった」』
という考えのようだ。
また、インタビューでは続けて、
『野球の神様が「よくやった、やれるだけやったじゃないか。お疲れ様」といっている』
と表現されていたが、私には今回のゼネラルマネージャーからの通告が衝撃的で応えたのだと思う。
早速、世間の反応を「ブログ検索」でチェックすると
「22年間お疲れ様でした」「同年代として引退表明は寂しいけどご苦労様でした」
などねぎらいの言葉が並ぶ。
個人的には「ボロボロになるまで投げるって言ったじゃないか。ほぼ同年代の野茂投手や藪投手だって、傍からみれば万策尽きているはずなのに、浪人して野球を続けているじゃないか」という想いだ。
私はいまでこそ、「好きな野球選手は?」と尋ねられれば真っ先に「桑田真澄さん」と答えているが、正直、PL学園時代は「強すぎて憎たらしい」との印象があった。
応援する気持ちが強くなったのは、プロ野球選手として決して恵まれた体格をしていないため、節制を重ね、語学やピアノを学び、呼吸法や古武術など役に立ちそうなものは貪欲になんでも投球術向上に取り入れて精進している姿を知ってからだ。
特に、2002年に12勝6敗、防御率2.22で15年ぶりに最優秀防御率を獲得した年は、桑田投手が投げる試合の動向を常に追っかけた。
ブログの中でも過去に何度も取り上げさせていただいた。
引退することを奥さんに国際電話で告げた時は、「それでいいの」と聞かれたそうだ。
2001年オフはジャイアンツの原監督から「一緒にやろう」といわれて、一度は折れかかった気持ちに火が灯り2002年は復活した。
今年受けた手術も信頼するフランクジョーブ博士から「手術すればまだやれる」といわれて決意した。
今回はゼネラルマネージャーの「最後通告」が衝撃的で、それを上回る気持ちにさせる「背中を強く押す人」がいなかったのだろう。
「桑田さん、登ってきた山をもっとゆっくり降りたっていいじゃないか!」
本当に残念でならない。
最後に2008年3月27日付の「無常観」と題した桑田投手のブログを引用しておく。
(引用ここから)
友へ
突然ですが、ボールを置くことに決めました。
友に、上手く説明できる理由や論理は、何もありません。
ただ、僕の心が納得し、燃え尽きてしまったんだよ。
無常というか、悲しいというより、むしろ、美意識が感じられるんだ。
なんて表現したらいいんだろう・・・?
若い頃の自分を思い出しながら、今の自分を見ていると、
哀れというか、不変なもの、永遠というものは存在しないんだと改めて思うよ。
しかし、その自然な流れが、また、たまらなく美しくも感じてしまうよね。
本当に世の中には、永遠なものはないよね。
家族、友達、命、財産など、100年後、500年後は、間違いなく変わっているからね。
何一つ変わらないものはないよね。
だからこそ、その一瞬、一瞬を、感性を研ぎ澄まして生きていきたいよね。
決断してすぐだから、たくさん言葉が出てこないけど、
また、ゆっくりと話をしましょう。
心より、野球の神様に感謝し、
そして、長い間、僕を支えて頂いた友に、感謝の気持ちを伝えたいです。
ありがとうございました。
4月には、帰国します。
(引用ここまで)
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