以前コーチングのセミナーに参加した時には「コーチング」について「相手の自発的な行動を促進するコミュニケーション技術」と解説していた。
マネジメント審査の審査技法が目指すところは、まさに「コーチング」である。
一義的には、審査の目的は「組織が審査基準に適合しているか否か」を確認し「適合している場合は組織が審査基準に適合していることを公表し登録する」ことである。
ただ、それは最低限の役割であって、そもそもの意義は、組織に対して、審査を通じて気づきを促し、改善の余地を特定することによって、自律して継続的な改善を行なう体制を支援することにある。
一般的には、コーチングと似た言葉にティーチングがある。
コーチングとティーチングの最大の違いは、
・コーチング:双方向(質問型)
・ティーチング:一方向(指示命令型)
である。
コーチングが目指しているものは「良い質問をすること」であり「教えてしまうこと」ではない。
つまり「コーチングの成果」は『自発的な行動の変容』にある。
もちろん、コーチングが良くて、ティーチングが悪い、というものではない。
ベースが何もない人にいくら良いコーチングしても気づきは少ない。
語学でいえば「単語」や「文法」、数学でいえば「足し算や掛け算」、「公式や定理」、スポーツで言えば「基礎体力」や「型」、躾で言えば「挨拶などの社会的規範」や「道徳」などベースになる部分は「理屈ではなく、こういうべきものである」と半ば一方的に「ティーチング」=「教え込む」段階が必要である。
つまり、武器となる基礎的手法や概念がそもそもない段階の人に「気づきを促し、自発的な行動を促進」することは難しい。
仮にコーチングを通じて「気づく点」があったとしても、そこから先の具体的解決は「ティーチング」してもらう一時期が必要なケースが多いだろう。
「成長の過程」を考えると、プロスポーツの世界では、おそらく「コーチング」と「ティーチング」の割合は新人選手でも8:2ぐらいではないだろうか。
ビジネスの世界は、仕事を覚えるまでは「ティーチング」の割合が高いだろうけれど、管理職以上の段階では、ほぼ必要なのはコーチングだと思う。
教育を考える時のキーワードに「必要な力量」という概念があるが「与えられた仕事の役割を果たすために必要な最低限の力量」とは「ティーチングが必要な部分」とほぼイコールではないだろうか。
しかし「その仕事の本当のプロ」になるためには、「自ら気づき、自発的に行動を変容」させる必要がある。
そう考えると、組織における人材の育成において、コーチの存在や役割は大きい。
すべてを一方的に教え込まれた人間は、応用の幅が狭い。下手をするといわれたことしかしない、あるいは、考える能力が低下する。
すなわち成長が限定的になってしまうのである。
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