このケースは明らかに知人の小説家に対する「慰め」の言葉であるのだろうけれど、「なるほど」と思った部分もある。
「モノ書き」は本や雑誌など文字媒体に作品を発表することを主体として表現の場を得ているが、落語家や音楽家、舞台役者は寄席やリサイタル、劇場など公演の場が作品を発表する基本形である。(もちろん、モノ書きのように作品をDVD化など媒体として発表する場もあるが)
小説家をかばう訳ではないが、小説家からすれば新たな作品を発表したつもりであっても、数多く作品を発表していればコンセプトが似てくるものもあるだろう。
シンガーソングライターなどその際たるもので、アルバムに収録されている作品を聞き比べてみれば詞やメロディーが似かよっているものはたくさんある。
まぁ、人間のアイディアは今までの経験がベースになっていることが殆どだからまるっきり新たなアイディアはそんなに生み出されるものではないだろう。
また、似通っているからこそ、その作者やアーティストのファンは「○○さんのテイストがあふれるから作品」として指示をするのだろう。
それにしてもモノ書きや音楽家、落語家などお笑い芸人など「プロ」として活躍している人はよくもせっせと作品(ネタ)を生み出すなぁ、と思う。
以前何かで読んだが、シンガーソングライターの広瀬香美さんは発表していない高校生ぐらいから書き溜めた曲や詞が約3000以上あるそうだ。
だから「もう(曲や詞を)作らないもん!」と言っていた。
おそらく、悲しい作品、さびしい作品、嬉しい作品、バラードの作品、アップテンポの作品などさまざまなパターンを書き溜めたストックがあり、作品のコンセプトを決めたら、ストックから引っ張り出してきてアレンジし直したり、再構成するのだろう。
性同一性障害で戸籍上は男性ながら2007年の紅白歌合戦の紅組として出場を果たした中村中さん(22)のヒット曲「友達の詩」は15歳の頃に書いた楽曲だという。
また、今はあまりテレビで見かけなくなったお笑いの「つぶやきシロー」さんも何10冊もネタ帳があるという。
プロとして活躍されている人は日々、気づいたこと(ネタ)を書き溜めてストックにしているのだろう。
私もメルマガやブログで情報を発信するようになってから気づいた事を書き溜めることが顕著になった。
しかし、書き溜めたネタは「きちんと保存」しておかないと引っ張り出してきて使おう(編集、加工、再構成)と思ったときにどうもうまく作品にならない。
ネタが新鮮さを失っているというか、どうもその時の心情や想いが上手く作品として表現できないのである。
プロの方たちはストックしているネタが色あせないようにどんな工夫をしているのだろう、と思う。
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