コンサルティングをしているクライアントの事務局の人と雑談していたら「最近、『ISO認証取得』という看板が掲げられた工場や建物を電車からよく見る気がするんですが気のせいでしょうか?」という話題になった。
もちろん答えは「急に看板を掲げている工場が増えたわけではなく、今までは車窓を眺めて看板が目に入っていても意識していなかっただけ。ISOを認識し意識するようになったから気がつくようになった」である。

日常の気づきは、ふとしたところから出てくる。
定性的な傾向としては、
1)仕事中(私の場合、コンサルティングや審査で相手とディスカッションしている時)
2)仕事仲間との雑談時
3)日常の生活(例:車の運転中、お風呂でまったりしている時)
4)仕事抜きの友人、知人との会話中
が多い。

要は、どんな場面でも気づきはある。
ただ「趣き深い気づきが生み出される条件」としては、
a)日々ものごとを(意識的か無意識かは別にして)何気に深く考えている
b)ある話題について人と話す機会がある
c)ボーっとする(できる)時間がある
などが必要だと思う。

ものごとについて自分なりに考えていないと、そういう話題や場面に出会ったときに「全く感じることろがない(気づかない)」かせいぜい「ふ~ん、そうなんだぁ(あまり心に響かないあいづち的感想)」で終わってしまう。

雑談や仕事の中で「気づき」が生み出されるのは、ある意味「ブレーンストーミング」状態になっているのだと思う。
問題解決手法などで出てくるブレーンストーミングやKJ法的なことが会話の中で自然になされている業(わざ)である。

「何も考えないでボーっとする時間が欲しい」と多くの人は言うけど、言い換えれば「まわりのことを考えない気を使わない状態にしたい」、「頭の中の情報を整理したい」という欲求が人間にはあるのだろう。
しかし、皮肉なことにそういうときは、頭の中が「ひとりブレーンストーミング」をしているのだと思う。

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