北陸地方出身の友人が仕事や家庭の事情があって実家に帰ることになった。
先日送別会に出席したら総勢30人ぐらいが集まっていて、私が最初に座ったテーブルでは出身地の話題になり、北陸や四国の話題になった。
私は、地理は大得意ではないが比較的、町の名前やその郷土出身者、名所旧跡を知っている。
しかし、そういった知識は案外、世間一般では普通ではないらしいことに気づいた。

私が地理に関する話題に比較的明るいのはどうも、高校生ぐらいまでの習慣にあるようだ。
まずは小学生当時のこと。自宅のトイレに日本地図が貼ってあった。
尾篭(びろう)な話であるが、小学生にとって学校で便意を生じるといじめの対象に成りかねないので朝食後はトイレで格闘していた。
すると目の前に地図があるので自然と全国の市町村名が目に飛び込んできて位置関係が頭にいつの間にかインプットされた。
また中学・高校生時代は、学校の宿題が煮詰まると「逃避行動」として時刻表を眺めて「仮想旅行計画」をよく立てて勉強をサボっていた。
これらの「習慣」が地理に関する話題に自然と明るくなった理由のようだ。

しかし、最近は地図を見なくなってしまった。
仕事柄出張する事が多いが、出張先へ向かう交通機関の時刻も運賃も「駅すぱあと」のようなソフトで検索してしまうから紙の時刻表は滅多に見なくなってしまったし、(10年落ちのオンボロ)乗用車で出掛ける時は分不相応にカーナビがついているから紙の地図を広げる機会が極端に減ったせいである。

すると徐々に、現在地から行き先までの移動経路が視覚的にイメージできなくなってきたような気がしている。
つまり、一度行ったことのある行き先でも交通機関案内ソフトやカーナビにより間違いなく確実に行き先にはたどり着けるのであるが、それらに頼らずに行く事が困難になってしまった。
先日も、カーナビ付きの自家用車では何度か訪問したことのある客先にタクシーで行く機会があったが、運転手さんに道順をきちんと説明できなかった。
これには自分でも唖然とした。まるで地図が頭の中に入っていないのだ。

私が敬愛する作家の北杜夫氏や紀行作家の故宮脇俊三氏は「旅行は現地にたどり着くまでのプロセスがもっとも楽しい」と教えてくれた。
「駅すぱあと」や「カーナビゲーション」は便利なツールではある。
しかし、全く「紙の地図や時刻表」に接しないと頭の中に「現在地と行き先までの相互関係」が視覚的にイメージできなくなる。
最近は、市町村合併でニュースを聞いていても「どこに位置するのか不明な地名」が増えてしまった。
「たまには紙の地図をできるだけながめるようにしなくっちゃ」と思う。

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