今大会は日本勢の成績が芳しくない。
初日の男子100キロ級の鈴木桂治選手、100キロ超級の井上康生選手と立て続けにメダル獲得有力選手が散った。
大会は男女ともあと各2階級を残して、男子メダルは73キロ級の金丸雄介選手が銅メダルを獲得したのみで、女子は銀メダルの78キロ超級の塚田真希選手、78キロ級の中澤さえ選手、銅メダルが63キロ級の谷本歩実選手、57キロ級の佐藤愛子選手、52キロ級の西田優香選手となっている。
女子はメダルを逃した階級は1階級のみだから概ね順当なのだろうけれど、男子のメダル獲得は今まで4個が最低(2001年、2004年)だったから残りの2階級でメダルを獲得しても3個と最低になる。
シロウトがコメントするのはおこがましいが、TVで試合の映像を見る限り、
○返し技にやられた
○組み手争いに負けている
○技が単調
○リードした残り時間で守りに入った
などが日本人の試合の特徴として目立って感じられた。
敗戦の弁として「柔道着をつかましてくれませんでした」いう発言をよく耳にするが「柔道着をつかませない(組み手争い)のも技のうち」と考えて対策をしなければ試合には勝てないのだろう。
印象に残ったのは鈴木選手と井上選手の敗戦パターンである「返し技にやられた」ケースだ。この結果は2000年のシドニー五輪の100キロ超級の篠原信一選手の決勝戦(結果は銀メダル)を思い出した。
この試合は篠原選手が決勝で、フランスのドゥイエが内股を仕掛けてきたのに対して篠原は内股すかしで返した。ドゥイエは、背中から落ち、篠原は肩から倒れた。
TVを見ていた日本人は誰もが篠原選手の1本勝ちに見えた。しかし、判定は主審と副審の一人がドゥイエ、副審の一人が篠原を優勢と判定が割れ、結局ドゥイエ選手の技が優勢としてそのまま試合が終わった。
五輪後にビデオで試合を分析し、どちらの技も不十分でポイントを与えるべきでなかった、と結論が出された。この試合を契機に試合での誤審防止としてビデオ判定が採用された。
鈴木選手と井上選手の判定もビデオが採用された。
たいていの日本人が持つ「柔道の有効技」の感覚なら相手選手のポイントとならない、と思っただろう。だから「ビデオ判定なら正しい判断をしてくれる」と思った。しかし、判定は覆らなかった。
つまり「有効技」とする価値観が国によって違うのだろう。
日本人は、「最初に仕掛けた技を切り返した技」や「力ずくで倒したような技」は「柔道の技」としてあまり評価していない。だから「技を仕掛けて相手と一緒に身体が畳みに倒れたとき」は「美しい技を仕掛けた選手のポイント」と思っている。
つまり「技」には「美しい技」と「美しくない技」があり、『美しい技のあとの結果としての美しくない技』(例:大外刈りを掛けて畳に崩れる相手選手がその瞬間に力ずくで技を掛けた相手を畳みに強引に押し倒す)は「美しい技」を掛けた選手のポイントと思っている。
言い方をかえれば「結果よりプロセス」を柔道は重んじていると思っている。
それは柔道がまさに「柔よく剛を制す」の競技であり「柔道の本質」と考えているからだろう。
「力技で優劣」を決めるのであれば、レスリングなど他の格闘競技と「柔道競技」の違いはなんなんだ、となる。
柔道競技の欧州での人気低下を危惧してかIJF(世界柔道連盟)会長にオーストリアのビゼール氏がこの9月に就任した。
ビゼール氏は柔道をもっとスリリングな競技にしなければならない、と主張していて「競技スポーツとして人気維持」を優先するならばその考えは正しい方向だろう。
ただ「柔道の本質とは何か」をじっくり考えない改革であれば他の格闘技と柔道の違い(柔道が柔道である意味)がぼやけてしまうのではないかと思う。
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