海老沢横審委員長に限らず、ここの所の世間の流れは「朝青龍関の帰国やむなし」になっているようだ。
本人や世間が朝青龍関を相撲界に復帰する気(させる気)があり、診断どおりで精神的に病気であるのであれば、さっさと治療環境に適した条件下で治療に専念させることは必要ではあると思う。
ただ、今回の件でなんだかすっきりしないのは、メディアやコメンテイターと称する人々、評論家、朝青龍を取り巻く関連の人々がこの問題を複雑にしてしまっていることだと思う。
もとを正せば「全治6週間のケガと診断され、関取としての重要な業務活動である地方巡業を欠席したにもかかわらず、母国に戻りサッカーに興じていた」という事実に対して、相撲協会が「謹慎と減俸という処分を下し、そのショックから急性ストレス障害になった」というだけのことである。
朝青龍関には酷な言い方になるが「謹慎処分(基本的に外出は稽古場と自宅の往復のみ)を受けた」と言うことは「単に減俸されて、秋場所と九州場所の相撲を取らなければいい」と言うことではなく「自分の犯した問題を真摯に受け止めて、稽古に精進し、真に反省し態度で示す」ことなのだ。
問題の発端に対して、帰国後早々に謝罪会見も開かずに、処分が下された後はかたくなに人前に出ることを拒否しているから話がややこしくなっているのだし、これでは回りの朝青龍関シンパの人達がチヤホヤして状況を良くしてくれるのを待っている駄々っ子と同じである。
横綱になるだけの実力があるのだから、処分はショックではあるだろうけれど、ファンはもとより世間は「問題をきちんと反省し、この精神的な苦悩状態を自らの努力で脱し、態度で立派な姿を示すこと」を期待しているのだ。
もちろん、専門の医師の診断結果で「国内は治療環境に適さない」と言うのであれば、「帰国させるなど治療を最優先」することも必要だ。しかし、そうするのであれば「モンゴル帰国中は謹慎期間としてノーカウント」であるべきだ。
そうでなければ本来の「謹慎処分」の意味がなく、スジが通っていない。
「協会の処分内容には納得いかない」と朝青龍関サイドが言うのであれば、「相撲界を引退する」か「裁判を通じて自らの正当性を争い、現状の相撲界を変える」ことをすればいいのだ。
上記のように「朝青龍関謹慎処分問題とそれに対してとるべき処置」は単純だったはずなのに「相撲界のしきたりなど一般社会と違う特異性」「横綱の品格問題」「高砂親方の指導力」「協会の対処方法の不備」「モンゴルとの国際問題」「帰国させないのは人権蹂躙(じゅうりん)」などといった「後から取ってつけたような問題点に関する議論」がされるのは本末転倒だと思う。
これらは、今後の相撲界のあり方を考える上での再発防止対策であったり、未然防止対策である。
まず、「朝青龍関謹慎処分問題」でやるべきことは、
○この件に関する問題点のみをシンプルに考える
○この件の問題点に対する必要な処置を行う
ことだ。
横綱の品格だの、協会の指導力や体制だのといった問題に対する対応策は「第2第3の朝青龍」問題が発生しないような大相撲界の仕組みづくりの話である。
『朝青龍関の謹慎処分とその後の状況に対する処置』
と
『大相撲界が抱える顕在化した問題点や潜在的問題点に対する対応策』
を一緒に考えようとするからわけがわからなくなるのである。
【よかったらクリックお願いします♪】↓

ブログランキングranQ
企業家ブログ→http://www.kigyoukablog.jp/ranki.cgi?id=35