「しょうがない」発言は原爆被爆国の防衛大臣(当時)が異常事態の戦時中とはいえ非人道的な攻撃を容認したかのような発言が問題であったことは言うまでもない。
また、慌てて陳謝した際の会見では「被爆者を軽く見ているかのような印象に取られたとすれば申し訳なかった。これから先は講演で言ったような話はしない」と発言したが、このことより「発言は今でも間違っていない」との認識での陳謝だったので謝罪になっていなかった点も余計に問題を大きくしたと思う。
それはともかく、その時のトーク番組の議論で「久間さんの最大の問題は歴史に対する認識が間違っている。近現代史を学校でどのように教えるかも今後の課題である」という点が話題になっていた。
確かに、歴史教育に関しては私もそう思う一面がある。
太平洋戦争末期に関しては、多くの日本人が、「3月20日の東京大空襲」「8/6、9の広島・長崎に原爆投下」「8/15の終戦の日(敗戦)」ぐらいしか学校の歴史の時間では記憶が残っていないはずだ。
1945年の歴史を振り返る上で「2月のヤルタ会談でのルーズベルト(米)とチャーチル(英)、スターリン(ソビエト)の密約」、「4月5日の日ソ中立条約不延長通告」、「5月7日のドイツ降伏」、「7月6日のアメリカが原爆の実験に成功」、「7月26日のポツダム宣言発表」、「8月8日のソビエトが太平洋戦争に参戦」というポイントは知っておかないと、原爆投下についてその悲惨さから「ひどい・むごい」「原爆はいけない」という表面的な議論が中心になり、本当の議論は出来ない。
なぜ、これらの重要な歴史的史実を日本人があまり知らないかというと、学校教育では4月に縄文時代など紀元前から授業が始まり、太平洋戦争のあたりは3学期のテスト前に駆け足でさらっと教わる、というのも一因だろう。
そのトーク番組では「近現代史から歴史を遡る形での教育がいい」と多くの出演者が言っていた。
確かに、「この出来事はこのような背景があったから起こった」と問題の要因分析をするように「なぜなぜなぜ」で歴史を学んだ方が単に年表を暗記するよりよっぽど当時の背景や状況を擬似体感し、考える事ができる。
私の知る限りでは、中学生のときに読んだSF作家の星新一氏もエッセイの中で同様のことを言っていた。
ただ、この方式で授業を実験的に教えた学校でテストを実施したところ年表の暗記力は下がっていたと言う。ただ歴史を学ぶ意義を考えれば「考える力」や「正しい歴史認識を持つ」力が身に付いた方がよっぽどいい。
テストの方法にも問題があるのだろう。
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