自分の言いたいことや想いを人に伝えるのは難しい。
・自分のことを真によく知っている人
・自分のことをそこそこには知っている人
・自分のことを知っているがはなから相手にしていない人
・自分のことを知らない人
と相手のタイプを大雑把に4つに層別すると「自分のことを真によく知っている人」は「直接話す」にしても「ブログや本にして文章を書く」にしても「自分のペース」や「自分中心、自分本位」でモノを語ったり、話せばいい。
なぜならある程度、私が文章や会話にしていない言葉の意味を相手が理解してくれるから、「できるだけ正確かつ的確、丁寧」に話したり、書かなくても「こういう考えなんだろうな」とか「以前こんなことを言っていたから、このこともきっとこんな意味だろう」とある程度情報の不確か、かつ、不十分な部分を推測し、想像して理解してくれるからだ。

しかし、「自分のことを真によく知っている人」以外のタイプには、相手の状況によって同じ表現をしていても文章や会話の意味が伝わらないから、相手の立場や背景、環境より「文章や会話のこちらが言いたい意味が伝わるような工夫」をする必要がある。

先日、ある商工会議所の招きで講演会をさせてもらったが、個人的にはひとつ失敗をしてしまった。
それは、「参加者がどういう方達なのか」と言うことだ。
以前は、講演会に行くと申込者の一覧表や業種別のリストをいただくケースも多かったが最近は、個人情報保護の観点からかそういったリストをいただけるケースが減った。
だから、講演会を始めるにあたって冒頭で、参加者の役職や業種、講演会申し込みの背景などの情報を参加者にさりげない問い掛けをして把握しておくべきだった。
依頼された講演時間に対してボリュームのあるレジメを作ってしまったので、レジメを時間内に説明することを優先してしまい、参加者の属性を把握するのを若干サボってしまった。
自分としては丁寧にしゃべったつもりであるが、あくまでも「一般的な丁寧な口調」なだけなので、こちらの想いや考えが正確に相手に伝わっていたか、あとで考えると微妙だ。

私の書いた文章を講習会などで実験的に利用していただいているあるコンサルタント会社の社長さんと話していたら、「『論理的』とか『建設的』『筋道を立てて』『マネジメント』ということをいろいろな文章の基本や主眼として強調されているが、あなたの伝えたい層には響いていない。あなたの考えを理解してもらわないといけない層は“論理的”という概念に対しては拒否反応を起こして、そもそも聞く耳を持たない」と言われた。

確かに「ピーマンの嫌いな人にピーマンがたっぷり入った生野菜サラダ」を食べさせているようなもので本当に食べてもらいたいなら「ピーマン臭さを低減した野菜ミックスジュース」にしないとだめなのと同じだ。
もちろん宗教家のような「カリスマ性」があれば「盲目的に信じ込ませる」という手法もあるのかもしれないが、個人的には「自分の意図と違った意味で良く解釈させたりされる」のは自分のスタイルに合わないし、本望ではない。

同じことを話したり書くにしても、ターゲットを比較的広範囲にする場合は、それぞれに伝わる会話力や文章力が必要になるので、つくづく「さまざまな相手に伝わる話のネタや知識、思想」を話し手、書き手としては身に着けておかなければ、と思うのである。

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