あくる青い秋空が広がった朝時。

遊太は六本木ヒルズの巨大蜘蛛の真下で一人立っていた。頭上には背丈が高い長い足を持った蜘蛛のオブジェが堂々とヒルズの真ん中を立っている。その姿は正に「ハリー・ポッター」のアクロマンチュラに似ていそうな不気味な姿をしている。そんな巨大蜘蛛の下には遊太だけではなく他にも蜘蛛の下で人と待ち合わせている男女の姿も見える。長袖と長ズボンといった秋らしいコーデの服装に身を着せ靴は池袋のABCマートで買ったバンズのスニーカー。ズボンのベルトループにポーチを引っ掛けている。ズボンポケットに手を突っ込みながら友達が来るのを待っていた。

これから会う友達は中学・高校時代に仲が良かった人でとても明るくて人間力のある気の良いやつなのだ。高校を卒業後、その人は大学や専門学校へは行かず今の仕事を続けている。その友人だが今じゃ日本を誇る人気者となって昔と変わらず忙しくしている。休める日なんてほとんどないぐらいだ。高校卒業後も時折り、連絡を取り合っている。お互いの仕事のことなどを話したりしているけど、友人は忙しい身であるためになかなか連絡ができないことだってある。もちろん。遊太がSF(ソーシャル・フレンズ)に転職した事も知っていれば一度だけ仕事上で会った事もある。その友人が遊太の幼馴染だという事は藤森や他の社員達は知らない。だってその友人は「人気者」なのだから。三日前にその友人から着たLINEの内容はこうだ。

『久しぶり。元気にしてた?明後日、予定空いているかな?一緒に映画観に行かない?』

これから観る映画はアクションもので内容はとても濃い日本映画だ。CMで時々観た事があるしネットやSNS上では少しずつ話題になっている。友人はこういったアクション系や濃い内容の話が好きだ。それに、友人にとってはいい勉強になるだろう。一人の「役者」として他の俳優達の演技力や技術を学ぶ機会ができたのだから。

映画を観る時間は13時25分。後10分も時間がある。35分には会場が開くのでその時間までは間に合いたい。腕時計で時間を確認し一人巨大蜘蛛の下で待っていると誰か自分の肩を軽く叩く人がいた。振り向くとそこには黒い帽子を被りグレーのパーカーの上に紺色のアウターを羽織っていた。ジャケットの色を合わせているかのように濃淡のジーンズを履いていて靴はブラウンと紺色の二色が合わさったECHO BIOMのスニーカー。大人の雰囲気があるシックな格好をしていた。

「お待たせ。かなり待たせちゃった?」

帽子を被り眼鏡を掛けている壮年はとても感じの良い男性で明るい顔をしている。まるで好青年みたいで好感度が高そうな爽やか系男子でなんとなく無邪気そうでどことなく大人な風格を感じる。顔は小さいし目はパッチリ、口角は上がっていて鼻は高い。もちろん手足も長くて身長は遊太の頭を通り越すぐらい高い。プロフを見れば分かるが彼の身長は185センチだ。ちなみに遊太の身長は172センチ。

「ううん。ついさっき着いたばかり」

遊太の返事を聞いて彼は笑った。今日、遊太と一緒に映画を観る彼の名は榎戸輪 蒼馬(えどわ そうま)。今年の夏に全国放送されたドラマで主演を務め今も尚、ブレイク中の人気俳優だ。高校二年生の頃にゼノフィー・スーパーボーイ・コンテストで優勝しその後、芸能事務所「スター・アイランド」にスカウトされ入所。それからは雑誌のモデルをやり始め高校卒業後に特撮ヒーロー作品の主演に抜擢され輝かしく俳優デビューを果たしたのだ。あだ名はエディ。苗字がどことなく外国人っぽい名前だから遊太がつけたのだ。彼は中学時代から今も変わらず明るい性格だ。人間力が高くてどんな人でも打ち解けてしまうコミュ力を持っている。この人間力とコミュ力と明るさが今の芸能界で大活躍しているのは間違いない。彼が演技以外で怒った姿は見た事ないし穏やかでなぜか彼の側に行きたいと思えてくることもある。彼の魅力はフレンドリー感と緩やかな感情、そして誰とでも接してくれる優しさが溢れているから誰もが彼の方に集まってくるかもしれない。特に遊太とは仲が良く中高時代はよく遊んだりしたものだ。中高時代の時も蒼馬は背が高かった。

「誘ってくれてありがとう。仕事の方は大丈夫なの?」

いろんなドラマや映画、CMなどの仕事で忙しいのにわざわざ自分を誘ってくれた彼を訊ねると蒼馬は「今日は夕方から仕事があるからそれまでは時間空いているし、せっかくだから久しぶりに君とデートしようかなって思ったんだ」と笑いながら話した。遊太も笑い集合場所に待ち合わせた二人は仲良く映画館へ向かった。

長い階段を上ると一面がガラス張りで堂々と建つ映画館が見えた。中は無駄に広く多くの人が賑わっている。蒼馬は既にWEBで席を予約してくれたみたいでわざわざ席取りせずに済んだ。今日は土曜日だからか人がすごい多い。子供連れの家族からカップル、友達に中には一人で観に来る人もあちらこちらいる。それに、誰も蒼馬の顔を見向きもしない。変装しているからただ単に気づいていないだけか?蒼馬が一般人に紛れてここにいる事を知っているのは友人の遊太だけ。日本を代表する有名人が近くにいると何だか不思議な感じがする。中学生の頃からの幼馴染だったとはいえ、今のエディは遊太の想像を超える程のスーパースターだ。それに遊太よりイケメンで背が高い。蒼馬と比べりゃ自分なんか月とスッポンだ。

「ほい。ゆーた」

蒼馬が遊太の分のチケットを渡してくれた。チケットには席の番号が書いてある。二人が会場に入った時には、上映室は既に開場していた。蒼馬はポップコーンとドリンクを買いに売店へ。遊太もドリンクだけ買いに一緒に行った。

受付の人にチケットを見せ中を通り先にトイレへ行ってから上映室へ入った。上映室の大画面はお知らせの映像が流れていてまだCMに入っていない。シネマガールと名乗る少女はTOHOシネマのお知らせから公開予定の映画作品の紹介が流れている間、遊太と蒼馬は予約した席に着いた。二人の席はちょうど大画面の真ん中で後ろ側の見やすい高さにいる。いい席を取ってくれた蒼馬に感謝だ。二人が席に着いた五分後に上映室の照明が暗くなりいよいよCMが始まろうとした。

 

映画はクライマックスに入り盛大な音楽が流れた後、125分という長い長い時間が終わってしまった。

照明が明るくなると観客達は一斉に立ち上がり空っぽのポップコーンやドリンクを持って出口へ向かう。

映画館を出た二人は解散時間までまだ余裕があったのでヒルズ近くの喫茶店でお茶することにした。

二人が向かった先は、小洒落たお店。扉に木版プレートが垂れさがっていて窓の外側には観葉植物が置かれている。ドアを開けるとチリンチリンとドアベルの凛とした音色が聞こえた。店内に入ると40代半ばの女性店員が「いらっしゃいませ」と二人を迎えた。すぐさま女性店員に案内され窓越しのテーブル席まで連れてってくれた。

テーブルの上に置かれたメニュー本を開いて何を注文するか選んでいた。

「こうやって二人でお茶するのも久しぶりだね」

帽子を脱いだエ蒼馬はテーブルの上に広げたメニュー本を眺めながら言うと遊太は「そうだね」と返事した。

席まで案内してくれた女性店員がお冷を持ってきた時、遊太と蒼馬はレモンティーとコーラを注文した。注文を受けた女性店員は一礼し厨房へ向かった。蒼馬はおしぼりの袋を開けて手を拭いていた時だ。

「こうして君とお茶するのは久しぶりだね」

遊太が言うと

「最後に会ったのは春だっけ?」

「そう。君が出てたドラマの時にスケジュールを合わせて花見行った時だよ。夜だったけどね」

蒼馬は夏だけでなく春のドラマにも出演していたのだ。それに、春はお互い何かと忙しかった為、スケジュールが合わなくて結果、夜に会うしかできなかった。しかも、桜の満開時期に花見をすることになった。

「そうそう。結局、上野に行くのは無理だったから小さな公園で桜見ながら花見したっけ?」

「缶ジュース一本持ってな。そっか。ゆーたはお酒飲めなかったんだっけ?」

「アルコールが高いやつはね。でも、最近はほろよいを飲んでる。アルコール3%だから」

遊太は店員が持って来てくれた冷や水を一口飲む。冷たくて美味しい。コップを持つ動作で氷がカランカランと鳴る。

「エディはどう?最近までドラマが終わって少しは落ち着いてきた感じ?」

最近までテレビドラマに連続で出演してとても忙しそうはだなと思っていた遊太。今も尚、国民的俳優としてメディアからも大きく取り上げている蒼馬は正に休日なんてないんじゃないかと思うぐらいの多忙さに目を回したに違いない。今は10月となり夏ドラマの放送は終了。蒼馬のドラマ撮影は8月中でクランクアップはしているがドラマが放送終了するまではなかなか忙しかったみたい。SF(ソーシャル・フレンズ)でも蒼馬のインタビューはあったが遊太が生憎の風邪をひいてしまった為、取材ができなかった。その代わり、遊太の代わりとして会社の仲間が取材に行ってくれた。最後に会ったのは春ドラマに出る彼の取材をしてから数日後の花見の時だ。

蒼馬は優しそうな笑顔で話す。

「そうだな。前よりは少し落ち着いた感じかな。今のところはCMの撮影に出てるけど」

話しているとと女性店員が二人の間に現れて「レモンティーとコーラです」とテーブルの上に置いてくれた。遊太はレモンティーのホットを注文したので湯気が立っている。ティーカップには薄切りされたレモンが浮かんでいた。一方、蒼馬が注文したコーラはシュワシュワと小さくて細かい泡が上がっている。「ごゆっくりどうぞ」と頭を下げた女性店員は二人が座っているテーブル席から離れた。遊太はティーカップと一緒にあったスプーンで3回軽くかき回してから紅茶に添えられたレモンを取り出しソーサーに移した。レモンティーのレモンは長く入れっぱなしにすると苦味が出てしまうと以前ネットで見た事がある。もちろん。レモンをカップに沈めたままにすると今度は酸っぱくなるらしい。今まではレモンを押し込んでカップやコップに無理矢理沈めていたから勉強にもなった。

ディーカップを口につけて啜ると 柑橘系の味と甘味と味気なさが口に広がり仄かな香りを感じた。

「ゆーたはどう?エンタメ記事、今も書いてるんだろ?」

蒼馬は彼がSF(ソーシャル・フレンズ)というネットニュースで働いている事を知っている。前に務めていた会社がコロナで倒産してから現在に至るまで遊太は毎日いろんな芸能人と会い取材をしてきた。今まで出会った著名人はしっかりしていて優しいうえ律儀で紳士淑女な人ばかりだった。感じが悪い人、嫌な人は誰一人もいない。

「まあね。記事を書くのは多少平気だけどアポ取りの時は大変だね。こっちから電話する時もあるけどあちらから電話が来るときもあるからコールの数が多くなっていたら、相手と連絡が取れず最悪の場合は業務の効率が悪くなるしアポの確立が低下するから油断もできない」

「記者って大変だね」

ストローを銜(くわ)えてコーラを飲む蒼馬に「まぁ、職を失うよりはマシさ」と遊太はレモンティーを一口飲みながら言う。もし、SF(ソーシャル・フレンズ)の社長にして大学時代の後輩でもあるチャラ男こと藤森に紹介してもらえなかったら今頃どうしていたか。もしかするとこうして蒼馬とお茶を飲めなかったかもしれない。藤森のあのチャラチャラした態度は腹立たしいところはあるが一応、恩人でもあるし張り倒すわけにはいかない。ここは奴に感謝しなければ。

「みんなとは会ってるの?」

「みんな?」

「中学時代のみんなだよ。服部先生とかさ」

服部先生とは中学時代にお世話になった恩師の名前だ。二・三年生の時に遊太と蒼馬の担任をしていた。50代の年相応の男性で寛大さのある先生だった。そういえば。ここのところ、中学時代の友人達とは会っていない事に気づく。

「いや~。会ってないな。最後に会ったのは10年ぐらい前の成人式の時以来だ」

その頃の遊太はまだ大学生で一人暮らしをしながら東京の大学に通っていたので両親からの勧められて地元の市民会館で参加した。面倒くさくてしかも地元に帰る気は全くなかったので一度は断ったが母親の念押しがあまりにも強すぎたので渋々と行った覚えがある。別に成人式に行かなくても何の変わりないのにとブツブツ言っていた自分が夏隠しく感じる。

「じゃあ。高校時代のみんなにも会ってないの?」

遊太は高校時代の頃に共にした友人や先生たちを思い出していた。

「先生は会っていないけど、友人ならちょくちょくと。立花とか鮫島、憶えてる?」

立花と鮫島は遊太と蒼馬が高校時代同じクラスにいた人達だ。

「立花と鮫島。懐かしいな。憶えているよ。夏になった時、一緒に川行って遊んだりしたよな」

「そうそう。傘で高価な花瓶を回したり屁こきで歌を歌うとかおかしい事ばかりしてたよな。それにあの二人、やり過ぎてよく先生にこっぴどく叱られてたよな」

「特に松井先生」

「そうそう」

二人は笑い出した。立花はみんなを笑わせるムードメーカーで鮫島は面白い事があれば機転が早くなるおちゃらけで派手好きな男子だった。学校中では二人を「大道芸 タッチ―とサメ」という異名が付いていた。普段はいい子だけど何か面白い事を思い出したらそれを実行する正に小五レベルのおちゃらけぶりを見るとみんなは笑っていたものだ。生徒からはとても人気だったけど先生側は呆れてものが言えないぐらい困っていた。でも、生徒はもちろん遊太と蒼馬はそんな二人が好きだった。それに、おかしな芸をしなくても立花と鮫島とは本当に仲がよかった。

「あの二人は今どうしてる?」

蒼馬は立花と鮫島が今どうしているかまだ知らなかった。彼が高二でゼノフィー・スーパーボーイ・コンテストに優勝してからなかなか会える機会がなかったのだ。同窓会にも一度も来た事がない。でも、卒業式の時はみんなと一緒に参加していた記憶はある。元々蒼馬は女子から人気があってモテモテだったので芸能界に入ってもさほど変わらない気はした。立花と鮫島は卒業式でもお得意の大道芸を披露してみんなを笑わせてくれた。遊太にとってあの時が一番最高の思い出だった。今でも二人とは連絡を取り合っていてちょくちょく会っている。だからタッチ―サメコンビは現在なにをしているかは知っている。

「立花は越谷レイクタウンのスポーツ用品店で働いている。鮫島は高校の先生をやっているらしい」

「あの鮫島が?先生?まじか」

驚くのも無理もない。遊太も初めて鮫島の職業を聞いた時も驚いたものだ。立花はスポーツが好きだったから納得いくけどあのおちゃらけでよく先生に叱られているイメージが強かった鮫島が今現在は小学校の先生をやっていると五年ぐらい前の同窓会で言っていた。二人は昔と比べて風貌は変わりつつも中身と外見は当時のまんまだった。

久しぶりにあの二人のコメディっぷりを見てとても面白かったし同窓会に参加した生徒達も盛り上がっていた。二人に呆れていた先生達も今回ばかりはとても笑っていたのをしっかりと憶えている。

「あのままお笑い芸人やればよかったのに」

「いや。僕ら以外にあのしょーもない芸をやったらウケないよ。同じ学校に通った友達だからこそウケたんだから。M1に出たらシーンだよシーーーン」

平行線を沿うように両手を小さく広げた遊太は半笑いすると「確かに」と同感したかのように蒼馬は笑った。

子供じみた。いや子供っぽい芸を誰が見るものか。遊太達だけしかいない。学生時代の友人だからこそあの二人の面白さは分かっている。でも、世の中には面白い人でも白けて死んだ魚の目のような視線を送る人だっているはず。30歳になった大の大人が子供じみた芸を披露をするのはかなりキツイ。きっと、あの立花と鮫島も魚のような白い目で見れられたら耐えられんだろう。

遊太は頬杖をつきながら湯気が立つレモンティーを眺めた。カップの中身に入ったレモンティーはもう半分以上減っている。あと二口飲めばティーカップの中身は空っぽになるともうちょっと飲みたいなと思うけどまた同じ商品を注文してお代わりするのはこっ恥ずかしい気もする。銜えるストローを支えながらコーラを飲む蒼馬を見て遊太は思った。彼は学生時代の時から全く変わっていない。中高時代は遊太以外の友達が多くいた。彼の人間力の高さと爽やかで明るいルックスがみんなを惹きつけたと言ってもいいぐらいだ。スポーツも得意で中高ではサッカー部のエースとして活躍していた。モデル活動していても休むことなく部活に参加していた。遊太は帰宅部で部活なんて一度も入った事はなかった。だから、一緒に帰る時は彼が部活が終わるまで教室や校内で待っていたものだ。昔は同じ学校に通い同じクラスにいた普通の友達だった彼は今では国民的人気俳優へと大成長した。コロナで倒産した会社で働いていたごく一般の元平社員にして同じ大学の後輩に拾われネットニュースの芸能記者として食っているごく普通のレポーターの遊太とは歩んできた人生が全然違う。自分と比べられてもしょうがないが人にはいろんな人生の歩み方があるので他人と比較する必要はないと遊太はちゃんと分かっている。

遊太が再びレモンティーに口をつけた時、コーラを飲み続けていた蒼馬が「ゆーた」と声をかけた。遊太が軽い返事を交わすと蒼馬はこちらを見て話し出した。男前ながらキュルッとした可愛らしい子犬みたいな目でこちらを見てくる彼に遊太は心の中で〝テレビで見るより可愛らしい顔してるな〟と思った。

「ゆーた」

蒼馬が話し始めると遊太はカップに口を付けたまま彼の方に目線を向けた。

「彼女とかいる?」

それを聞いた時、遊太はブフッと音を立てた。危うくアニメや漫画みたいに口に入っていたレモンティーを水鉄砲みたいに吹き出しそうになるところだった。カチャッと音を鳴らし唇についたレモンティーの液体をおしぼりで拭った。突然の発言に遊太は仰天した表情で言った。

「はい?!」

彼の突然の発言に遊太はビックリ仰天。サラッと言い出した蒼馬は普通の表情で親友の顔を見る。

「いきなりどったの?何故故(なぜゆえ)?」

「いや。君はもういい年だし彼女一人でもできたんじゃないかと」

蒼馬の口から〝彼女〟というワードが出てくるのは珍しく突然の事で思わず吹き出しそうになった遊太だが彼の質問に答えた。

「まだいないっていうかできないし。無理だから無理。僕が女子と二人きりになるのは苦手だってこと知ってるだろ?」

単純に女が苦手なだけ。

「それに、いい年って君もいい年だろ。僕と同い年だろ?同年!」

カフェ内は音楽が流れている以外とても静かなので大声は出せない。なので大声を控えるよう普通の声量で遊太は話す。

遊太が女性は苦手だという事は蒼馬は既に存じていながらも「いつから女が苦手になったんだよ?」と初めて知ったかのようにわざと訊ねながら笑う。蒼馬の微笑みは人の心を掴むかのような爽やかで明るくまるで王子様のようだ。もし、周りにたくさんの女性が蒼馬の笑っている姿を見たら喜びの悲鳴が大空の果てまで轟くだろう。ちょっとオーバーな例え方も知れないが蒼馬ならやりかねない。テレビに蒼馬が出てくると周りの人達が黄色い声を出して喝采する。そんな彼の姿を見ていると幼馴染とはいえ何だか次元が違う気がするのだ。友達が有名人だということは遊太にとっては自慢になるけどちょっと羨ましい自分が心のどこかにいたりすることも。

でも、友人の前で蒼馬が恋愛について話し出すなんて本当に珍しかった。テレビでのインタビューでも何でもない。正真正銘、プライベートでの日常会話に交じっての話だ。しかも、蒼馬本人から訊ねてくるなんて。

「女が苦手っていうより女性と二人っきりになったり女性だらけの中で・・・って、僕なんかよりエディの方はどうなんだ?最近、週刊誌とか別のネットニュースに女性と二人きりで表参道を歩いてたんだろ?」

遊太は自分の事より蒼馬の話に切り替えた。一ヶ月前のネット記事に蒼馬が前作のドラマで共演した女性俳優と二人で表参道にて密会していたという記事が堂々と出ていたのだ。週刊誌や新聞なんか二人の写真が大きな見出しになっていてニュースにだってなったのだ。チャラ男社長の藤森から取材して来いと言われたこともあった。結果、取材には行かなかったけど。蒼馬と人気女性俳優による交際報道は瞬く間に話題に話題を呼んだが事務所のコメントでは二人は親密な恋愛関係を持っていないと発表。その後、二人のSNSで交際は一切していないと断固否定した。二人が一緒だったのは人気女性俳優の親戚の子供が小学生になったので入学祝いに何を送ればいいのか蒼馬と相談し買い物に付き合っただけだったのだ。

「あれは、彼女が親戚の子に送るプレゼントを探すのを手伝ってほしいと言われたから」

もう既に一ヶ月前に起きた出来事を持ち出した友人に蒼馬は言い訳をした。あの時は本当に大変でまさか世間が自分達が本気で交際していると思われていたなんて思ってもいなかったので誤解を解くのに大変だった。事務所側はプライベートの事は全て本人に任せているのでお咎めはないけど噂がこんなにも早く広まったのは本人達はさぞかし驚いただろう。

「そういうエディはどうなの?好きな人とかいるの?」

逆に質問された蒼馬は何食わぬ顔をしながら「別に」とあっさり答えた。まるではぶらかされているのか素知らぬ振りして誤魔化しているのかは分からないが嘘をついているようには見えなかった。これまでも蒼馬とは長い付き合いをしているが学生時代でも今でもモテていても本気で好きなった人がいたとは一言も言っていない。インタビューで言われる好きなタイプの女性ぐらいしか知らない。蒼馬の好きなタイプの女性は清潔感があって明るくて一緒にいるだけで楽しくなる人らしい。でも、結婚願望はまだないし何も無かったらつまらない男だと思われるので思いつきで答えたまでだとLINEで遊太に話していた。お互い30歳。そろそろ結婚してもいいぐらいの歳だと思うが二人は全く結婚したいという意欲がないのでこのまま独身人生を満喫するのも悪くない。遊太は一度も好きな女子がいるとは言った事がない。女が苦手なのに女が好きだなんて明らかに矛盾し過ぎる。あの藤森というチャラチャラとしたナンパ好きのどうしようもないパーティーピーポーなスケベ社長と比べたら自分はまだまだマシだと思っている。あんな目立ちまくりな男みたいに自分も派手になるなんて絶対にできない。

「ただ・・・。いや。なんでもない」

突然、何か言いかけた。何か思い当たることがあったのか親友の前で教えるのを止めた。

「ただ、なんだよ?もしかしているの?」

コーラを飲み続けながら黙っている蒼馬に何とか白状させようと遊太は揺さぶる。

「もしかして。非公式?安心して。誰にも口外しないから。今はプライベートだし仕事じゃないからこっそり教えてよ。僕ら親友だろ?」

気になって本人の口から聞こうと説得する親友に蒼馬は一瞬考え込んだ。この話はまだ誰にも教えていないし公式で伝えてはいない。マネージャーも事務所も知らない話を彼は持っていた。でも、学生時代からの親友なら話しても構わないだろうと思った。遊太は約束を守ってくれるいい奴だ。だから、自分の秘密も守ってくれると蒼馬は信じているのだ。遊太は温厚だしなぜか彼に悩みを打ち明けると心が軽くなる。きっと遊太には人々をの重荷を少しでも軽くしてくれる優しさを持っているかもしれない。学生時代でも家の事や友達や先生などの関係で遊太の前で愚痴をこぼしたり悩みを聞いてもらったりする生徒が多かった記憶がある。中には女子が二人きりで話したいという事になると遊太はドギマギしてしまうのでどちらかの友人が仲介に入ってもらい相談の話に乗るという流れもあった。生徒達は何でも相談に乗ってくれる遊太を観越して「相談屋」というあだ名を付けられていた。ただの世話焼きといえば大雑把な響きになるが遊太は相手の問題に首を突っ込むタイプじゃない。自分なりの意見を述べ相手に助言するまでだ。他人の家庭と人生を自分の考えで動かそうだなんて思ってもいない。

蒼馬は秘密を守り素直に相手の愚痴や悩みなどの話を聞き入れてくれる遊太に自らの本心を話そうとする。

「本当に誰かに言いふらしたり教えたりしないよな?マジで秘密にしてくれるよな?この話、マネージャーや事務所、世間にはまだ話していないんだ」

前のめりになってシリアスな表情を浮かべるエディはちゃんと約束を守ってくれるかしっかりと遊太に確認すると本人は強く頷き真剣な目で視線を返す。

「心に誓って約束する。君の秘密は絶対に誰にも喋らない。例えこの身が犠牲になろうとも親友との約束は死んでも守るよ」

後半は少し大袈裟だったが約束してくれるならもう彼を疑わない。

彼の力強い言葉に蒼馬は安心して自分の本当の気持ちを素直に伝えた。

「実は俺。今、気になっている人がいるんだ」

正直に答えた蒼馬は周囲に聞こえないよう控えめな声で伝えた。変装しているから他の人からバレたりはしないと思うが周りを気にしながら注意を払うのも彼のやり方だ。この話は本当に非公式で遊太以外、誰も知らないので他人の耳に入ったらそれこそ噂が広まる。芸能人はプライベートでも苦労するんだなと遊太は思った。

「へえ。どんな人なの?」

遊太は彼が気になっている人がどんな人なのか気になり訊き始めた。これは取材の一環じゃない。単なるごく普通の個人的な会話だ。決して仕事ではない。

蒼馬は両手でコップを支え無くなりかけているコーラを眺めていた。コーラは大分沈んで氷の塊が顔を出している。

「とても前向きで優しい人なんだ。決して差別もしないどんな人でも認める肯定さがあって常に話を聞いてくれる気の良い人でもあるんだ。ちょっとマイペースな所もあるけどその人と一緒にいると楽しいんだ。あの人が側にいると何だかホッとするし安心感があるっていうか。話しやすいし笑顔は可愛いし俺、あの人がいると何だか頑張れそうになるんだ」

気になる相手の話をしている蒼馬は何だか楽しそうだった。そして妙に熱が籠っている様にも見えた。いつもの柔らかな笑みを見せてその人がどんなに素晴らしいのか親友に話した。

「その人はどんな仕事をしているの?」

「ゆーたと同じ記者をしている。君とは別のネット記者でね。芸能系の記事を書いているんだ。年はそう。俺達と同い年。仕事上で出会ってそれから連絡しているんだ」

偶然だろうか?蒼馬が気になっている人も遊太と同じ芸能系の記事を書いている。しかもネット記者。そんな女性と蒼馬は今、連絡を取り合うほど仲が良いみたいだ。

「俺、こんなにも人が気になるなんて初めてだ。あの人と一緒にいるとなんかこう。ちょっと胸がキュッとなるかドキドキすっていうか・・・」

蒼馬はこの曖昧な妙な気持ちの高ぶりは何なのか全く分からなかった。ただ気になる人がいるだけでこんなにも微妙な違和感を持つのだろうか?今まで経験した事ない気持ちに蒼馬の心は追いついていなかった。

「その人の写真はないの?見せて見せて」

相手がどんな顔をしていて姿をしているのか気になった遊太は彼が撮った彼女の写真を見せてと催促したが蒼馬は申し訳なさそうに笑った。

「いやー。それが写真持ってないんだよね。まだ付き合っているわけじゃないんだから」

「なんで?仲が良いんでしょ?」

「まあ、自分が言うのもなんだけど確かに仲いいけどさ。ただ気になるだけで」

「エディ。君、その人に片思いしてるんでしょ?」

遊太は躊躇もなくストレートに言い出した事で蒼馬は目を丸くした。この様子から見ると本当のようだ。

「もし、気になっている人がいるならそんなに熱く語るはずはないはずなんだけど」

えっ?!と思った蒼馬は自分が熱く語っていたとは全く気づいておらず驚いた。

「そ、そんなに熱く語ってた?」

もしかしたら遊太の勘違いじゃないかと思い一度確認したが本人は真顔で頷いた。

「もうその人のことを一方的に話してた。僕、何人か恋愛のことで相談に乗った事があるから少しわかる」

まさか恋愛に疎い遊太が恋愛関係で相談に乗った事があるとは全く知らなかった。そのうえ、本人の前で片思いをしているんだなと告げられた時、蒼馬は何だか恥ずかしくなったのか若干、頬が赤くなった。気づかない内に熱く語っていたのがまずかったかもしれない。友達に好きな人がいると教えると何かと掘り下げようと面白半分にいろいろ質問攻めすると思うが遊太にはそんな様子はなかった。まるで、相手を尊重しているような態度を見せている。

「君はその人のこと、どう思ってるの?」

彼が片思いしている人は十中八九、女性だと思っているので今は相手の事をどう思っているのか訊ねてみる。彼女の事を今はどう思っているのか?この問いに蒼馬は差し当たり思い当たるような事を話した。

「けっこう良い人。優しいし一緒にいて安心できるというか楽しいというか。確かにゆーたの言う通り。俺、あの人の事が好きかもしれない。でも俺、今までリアルで恋したことはあまりなかったから何というか・・・。どうすればいい?」

話しは曖昧だが確かに蒼馬は彼女の事が好きみたいだ。遊太は腕を組んで椅子に寄りかかった。

「正直に「好きです」だなんて突然言い出したら本人はびっくりするだろうし。その人とはいつから知り合ったの?」

「えっ?!えっと・・・二ヵ月前かな?」

「二ヵ月前か。だとしたらもうしばらくその人にはまだ告白しない方がいいんじゃないかな?」

「なんで?」

「だって、出会ってすぐ「好きです」なんて言ったら突然すぎて驚くだろ?まだ正式なお付き合いはしていないんだろ?」

蒼馬はこくりと小さく頷いた。

「片思いをするのは君に任せるけどいきなりしかもたった二ヶ月会ったばかりで告っても結局、「考えさせてください」か「ごめんなさい」の二択のどちらか言われると思うな。今は時間をかけてしっかりとお付き合いした方がいいと思う」

親友の助言に蒼馬は「そうだよな」と頷いた。一度も彼女を作っていないし付き合っていないうえ女性と二人きりになるのが苦手なタイプのこいつが言うのもなんだが遊太が言っているのはごもっともかもしれない。人気俳優がたった二ヵ月前に知り合ったばかりの女性に「好きです」なんていきなり告白したらイケメン俳優「榎戸輪 蒼馬」としてのイメージが下がるかもしれない。いや。さすがにイメージが下がるというのは大袈裟かもしれないが本人が返答に困るのは確かだろう。

「でも、心配なのはスキャンダルだよな。自分で言うのもなんだけど、俺はこう見えて世間にを知られている人気者だからいつパパラッチに撮られるかかと思うと」

「それは大丈夫だよ。いつもみたいに変装すればきっとバレないと思うけど」

「でも、表参道の件みたいに二の舞いにならないかな?」

人気俳優 榎戸輪 蒼馬。見知らぬ女性と交際!だなんて堂々と記事に出てたらどうしようと思っている蒼馬。無理もない一度、表参道でスキャンダルする羽目に遭ってしまい誤解を解くのに苦労した経験がある。マスコミが見張られて尾行しているのかも分からない。これ以上、スキャンダルやスクープで騒ぎを立てるのはもう御免だと蒼馬は思っていた。しかし、遊太は親友の不安要素を取り除くかのように悠々と話した。

「大丈夫だよ。前回の表参道の件とは違って今回は正式な交際をするんだから変な記事を書かれる心配はないと思うよ。君はその人のこと本気で好きなんでしょ?芸能人が一般人と恋に落ちるなんてまんざらでもない。二人の関係が世間に報じてもファンのみんなは心から喜ぶし応援もしれくれるはず。恋愛は自由だから口答えや邪魔する奴なんか一人もいない。君の人生なんだからその人が本当に好きならまずは付き合ってみてそれから考えればいいと思う」

自分にしてはいい事を言ったなと誇らしげに思う遊太。こういう恋愛事情の大体は遊太に相談しようと男女問わずやってくる。恋愛経験が疎い遊太でもみんなは彼に頼ってしまう。会社では時折、後輩から相談されることもあるが時には先輩からも話を聞いてもらおうと遊太の所にやってくる。それぐらい遊太の前だと話しやすいのだろう。

遊太の話を聞いた蒼馬は腕を組んで納得したような表情で小さく頷いた。

「そうだよな。そんなに深く悩む必要はなかったんだな」

「そゆこと。これはエディの人生だし他人の僕が口を挟む資格なんてないからね。でも、何か問題や困った事があったら誰でもいいからいつでも相談してね。僕でも構わないし先輩に頼るなり。こういう恋愛モノってトラブルが起きたり自分が知っている相手とはイメージが違う場合とかもあるからね。見た目より中身が大事だから」

「分かった。心に留めておくよ」

 

時間はもう4時に回っていた。

午後5時から蒼馬は仕事があるという事で店を出て六本木駅の地下鉄に乗り新宿に降りた。

新宿の地下駅はとても階段が長くそして多い。心臓破りの階段ばかりなので相当体力を使う。でも、足腰に鍛えるにはちょうどいい長さといったところか。でも結局、二人は階段を使わずエスカレーターで上まで登った。苦より楽を選んだ二人。地下駅の改札を抜け地上に着き、それからは再び改札を潜って埼京線のホームに着いた。

蒼馬は表参道で仕事があると言っていたので彼は渋谷方面の電車に乗ることにしていた。遊太はその逆大宮・川越方面の電車に乗る。同じホームでも行き先が違う二人はここでお別れをすることになった。

「今日は誘ってくれてありがとう。久しぶりに会えてよかった」

映画に誘ってくれた人気俳優の親友にお礼を言った遊太。こうして親友と二人で遊びに行くのはとても久しぶりだったので今日一日は楽しかったと遊太は満足していた。誘ってくれたことに喜んでくれた親友を見て蒼馬は嬉しそうに笑った。

「こちらこそ。今日は楽しかったよ」

「またお互い、予定空いていたら会おうね」

次の再開を約束した二人に電車ホームのチャイムが鳴り始めた。間もなく1番線つまり渋谷方面の電車が来る頃だ。

埼京線は1番線ホームに顔を出し駅の前で止まった。

遊太は「またね」と言いながら蒼馬と手を合わせた。蒼馬は「ああ」と返事をした後、渋谷方面の電車に乗りだした。一分もしない内に1番線ホームの出発する合図のチャイムが鳴りだし電車のドアが閉まった。遊太が手を振ると蒼馬も手を振ってくれた。電車はゆっくりと動き出し加速してホームを出た。

電車がいなくなるまで見届けた遊太は2番線の方に向いて列に並び電車が来るのを待機していた。

スマホを取り出しLINEを開いて彼のアカウントにメッセージを送った。今日は本当にありがとう。また遊ぼうね。とメッセージを入力しスタンプを添えて送信した。