木の葉が色づき始めた季節。

夏はあっという間に過ぎ空は秋色に染まっていて哀愁が漂い始めていた。

都会の中でも空を見上げればノスタルジックな雰囲気が広がっていてなかなかいいムードになっている。夏の暑さは当の昔に去り今は心地よい秋風が吹き抜けた。

熱くも寒くもない気持ちがいい秋だが涼しいだけじゃない。運動の秋。読書の秋。収穫の秋。味覚の秋。

そして、食欲の秋。

食欲。文字通り食べたい物を食べたいと思ってしまう欲望。この季節になるとなぜか食欲にそそられてしまい食べ過ぎて腹を壊したり太ってダイエットしなければいけない羽目になるのだ。何を言おう。この遊太こそが「食べたい」という欲に襲われて結果的に食べ過ぎてしまうのだ。しかも、その食べ過ぎはなぜなのか秋だけなのだ。

秋には美味い物がたくさんあるという事は知っているがこの妙にそそられる感がなかなか抵抗できない。他の季節は何とも思わないのに秋だけはなぜか美味しそうで食べたいと意欲が湧き上がるのだ。

今日は早めに仕事を切り上げた遊太は最寄り駅に着くと真っ先に駅の下のスーパーに立ち寄り両手に大荷物を抱えていた。袋の中身は遊太の食べたい物がどっさりとある。冷蔵庫の中にはまだ十分に食材は残っているが余計に買い足してしまった。元々は今朝のZIPで紹介していたスーパーカップの新商品が紹介され美味しそうだったので買いに寄ったつもりがどれもこれも他の食品も美味しそうに見えてついつい買ってしまった。おかげで7000円近くかかってしまった。ちなみに袋の中に入っているのは総菜やアイスなど、自分が好きで食べたい物ばかり。これでは太ってしまうのでたくさん食べた分、たくさん運動する覚悟をしなければならない。例え、ハードルが高い運動でもちゃんとやり遂げるつもりだ。そう考えた遊太の決心は固いのだ。

イヤホンから流れる「葛飾ラプソディー」はまさにこの夕焼けの景色に合っていてとても和む。橋を渡る川は流れ元気よく走り回りながら家に帰る小学生。遊太と同じで仕事が終わりこれから自宅へ帰る人もいて、保育園に預かった小さな子供を自転車に乗せて頑張って漕ぐ母親の姿も見えた。ここには当たり前でごく普通の日常がある。

何も変わらない平凡で静かな日常。東京とは違って忙しくない落ち着いた場所。

太陽が沈みかけた頃に遊太は自身が住んでいるマンションについた。ポケットに入っている鍵をマンションのオートロックに差しこみ回す。すると自動ドアが開きエントランスを通ったらエレベーターに乗り・・・たいところだが今日は階段で5階まで登ることにした。両手に重い荷物と肩にバッグが掛けてあるのでかなり重い。でも、腕の筋肉と足腰が鍛えられると思えばこんなの軽いものだ。

遊太はフーッフーッと険しい顔をしながら息を切らし一段一段と階段を上った。まだ30歳とはいえ若かりし頃とは体力が少し違うので年は取りたくないものだ。大きい荷物が遊太の体力を負担する。負けてたまるかと遊太はまるでダンベルを持ち上げるかのように自らの腕力を命一杯力を入れる。まるで変顔をしているかのようにの顔の筋肉がこわばっていた。

もし、誰かとすれ違ったらそれこそ恥ずかしい。見られたらしばらくは表に出られないかもしれない。いつご近所と遭遇するのか分からない危険なリスクがありながらも力みを入れる遊太は変顔のまま5階まで上がった。

遊太の部屋番号は504号室。ポケットから鍵を出して鍵穴に差しこむ。そして鍵を右に回すとガチャという解除音が聞こえた。ドアを開けて廊下に入り買い物の荷物は台所近くに置いた。それからは、自分の部屋へ行きリュックを下ろし仕事着から部屋儀に着替えた後、買った食料を冷蔵庫に入れた。冷蔵庫の中はいっぱいで隙間もなくこれ以上入れられないぐらいパンパンになった。しばらくは買い物しなくて済むがさすがに買い過ぎた。

今晩のご飯はガッツリでもなくコッテリでもなければたくさん作るつもりはない。今日買った総菜の有り合わせで済まそうと思っている。ちょこっとお洒落な食卓を用意して。遊太はキッチン台に置いた耐油紙袋の蓋を開けた。紙袋の蓋を開けて中に入っていたコロッケをグリルに投入。タイマーをセットすると遊太はリビングにある棚から一枚のレコードCDのケースを取り出した。内面のタイトルは英語でどアップされた黒人アーティストの顔と姿が映っている。遊太の家にはアナログレコードが置いてあってレコードプレイヤーが乗っている棚の下には何枚かのレコードCDが置いてある。二年ぐらい前に買ったアナログレコードで最近、レコードを聴きながら過ごす事が趣味の一つとなったのだ。特に夕方や夜に晩酌をしながらゆっくり寛ぎながら聴くのが一番好き。しかも、ベランダで景色を眺めながら音楽を聴きながら食べるのがこれまた格別。ちょっとリッチになった気分になるのだ。マンションのベランダでご飯食べるなんて自分にとってはちょっとしたご褒美だ。レコードをプレーヤーにセットする前に遊太は先にベランダに置いてある折り畳み式の小さい丸テーブルと小さな椅子を用意した。折り畳まれた四本の足を立て立て掛けてあった椅子を置くと遊太はサンダルを脱ぎ捨てて台所の方へ駆け寄る。グリルに入れたコロッケの焼き具合を確認する為だ。グリルの中を覗き込むとコロッケはいい焼け具合になっていた。遊太はコンロのスイッチを切りいい具合に焼けたコロッケをそのまま紙袋に再び戻した。お皿を出すのは面倒なので紙袋のままで食べようとしているのだ。そして、買い物袋から取り出した「ほろよい」とつまみとなるかぼちゃの煮つけをレンジでチンしてベランダに持って行く。まるでウキウキしているみたいにそそくさとベランダに置いてある丸テーブルへ持って行くのであった。「ほろよい」は今回初めて買った飲み物だ。正しくはお酒だがYouTubeでたまたま、ほろよいを飲んで感想を言う外国人の動画を見かけてまるでジュースのようだと証言していたうえアルコール度数がたったの3%と聞いたので酒が飲めない自分でも飲めるかもと試しに買ったのだ。今回、買った味は秋限定の<洋梨&りんご>。缶の正面にはりんごと洋梨のイラストが描かれていて秋らしいデザインをしていた。そして最後には、レコードをプレイヤーにセットして音楽を流したら椅子に座ってさあ、晩酌の時間だ。空は夕焼けに染まっていて夕日は西に沈む。黄昏時の夕空に雲は影となりオレンジと赤みかかった太陽が玲瓏となり懐かしいあの頃を思い出しそうになる。それに、夕焼けは幸福感や心の安定を促す効果があると何かで見た事がある。窓を全開に開けたリビングからジャズの音楽流れてくる。優しさと大人っぽさを感じるピアノの音色が響き軽快なリズムが刻まれていて勝手に身体が動いてダンスをしてしまうようなノリが良いジャズミュージックがベランダにいる遊太の耳に流れてくる。プシュッと音が鳴った洋梨&りんご味のほろよいの蓋を開けると注ぎ口を自身の口に付けて飲んだ。

洋梨とりんごの味とフレーバーが口の中に広がってくる。これが本当にお酒?!と思うぐらい酒の風味が全く感じない。これはもうお酒じゃなくてジュースだ。ジュース。アルコール度数はかなり低いし酒の味をしないからこれはこれでいくらでもいきそうだ。半分残ったほろよいをテーブルに置いてチンしたかぼちゃの煮つけに手をつけた。とても柔らかくてかぼちゃの味が口の中に広がる。マンションのベランダでこうやって晩酌するのは自分だけかもしれない。秋風が心地よくて沈みゆく夕日が目にしみる。遊太は紙袋を持って席に立ちベランダの手すりに寄りかかりながらコロッケを一口食べた。

オレンジ色に染まる空の下、荒川には寮生活をしている大学生達がボートを漕いでいる。ボートの上で舵を取る学生達は「キャッチ、ソー、キャッチ・・・」と掛け声が聞こえる。そして、ボートコース場の河川敷ではランニングしているボート部の学生と一般人の姿が見える。ボートコース場の奥に見える土手もそうだ。土手にもランニングで走っている人もいれば自転車で通る人も散歩がてらとして犬を連れて歩く人の姿もはっきりと見える。そして、土手の更に奥には浮間舟渡の町並みが一望できる。遊太が住んでいるマンションのすぐ近くに戸田橋という板橋区と戸田市の川岸の間に架かる橋がある。その橋を渡ればすぐ浮間舟渡に着く。つまり、戸田市は橋を渡るだけですぐ東京に着いてしまう便利な道路橋なのだ。車だったら15分か20分ぐらいで着くけど歩きとなれば推定40分ぐらいはかかる。遊太は三回ぐらい歩いて戸田橋を渡った事はあるが、確かにすぐ東京に行けるのは便利だけど橋を渡り切るまでが大変だった。こうして5階から見下ろしてみると河川敷や土手を走り歩く人々がジオラマ模型の人形みたいに見える。ジャズを聴いてつまみを食べノンアルのお酒を飲むこの優雅な一時は誰にも邪魔されたくない。今は遊太の一人っきりの時間。一人暮らしだからこそできる唯一の楽しみ。それにしても、今日も夕日が綺麗だ。ボートコース場の荒川が夕日の光に反射していて浮かぶ雲は影となりオレンジ色の空が少しずつ暗くなっていく幻想的な光景が広がっている為、遊太はスマホを取り出してロック画面からカメラモードに切り替える。夕焼けをバッグに食べかけのコロッケをスマホの前に出して撮影距離を調節しカシャッとシャッターボタンを押した。コロッケと夕焼けが写った写真が反映され次は丸テーブルの上に置いてあるカボチャの煮つけとほろよいをパシャリ。椅子に座った遊太はInstagramを開きさっき撮った写真を投稿した。撮った写真を加工しキャプションに自分なりの気持ちと感想を記入しハッシュタグを付けて。遊太のインスタでのフォロワー数はまあまあでたまにSNSで知り合ったフォロワーの友達とDMでやり取りしている。中には外国に住んでいる人も遊太のアカウントをフォローしてもらっている。もちろん、英語でのメッセージが来るので翻訳アプリを利用しながら連絡し合っている。彼をフォローしているほとんどは、俳優やコメディアンなどの芸能人、作家に映像監督など。有名な人もいればそれほどでもない人もいる。いいねの数は・・・みなさんの想像に任せよう。

こうしてのんびりできるのも独り身のおかげともいえる。独身は自由で好きな事が何でもできる。母親には時折り、彼女はできたか結婚はしないのかと耳に胼胝(たこ)ができるほど言われているのでだんだんストレスが溜まってしまう事もある。だが、独り暮らしが好きだと断固結婚拒否をし続けているから相手もこりゃダメだわと諦めているかもしれない。三十路になってから遊太は誰とも女性と付き合った事はない。というか、女性と二人きりになるのが苦手だから仕方がないことだ。あのチャラ男社長の藤森とは違って女性に対することは極力控えめだから。あいつが光り輝く太陽で自分は木陰に潜り込んで身を潜める影といってもいいだろう。そんなのはどうでもいい。今が楽しいならそれでいいのだ。こういった「ゆとり」ある時間は結婚したらもう二度と戻ってこないだろう。遊太はこのゆとりある時間を奪われたくないのだ。

夕日が沈みだんだんと空が暗くなってきた。ほろよいを片手に夕方から夜へ切り替わる空を眺めながら余韻に浸る。今まで仕事でいろいろと忙しかったからこうやってのんびり空を眺めるのはいつ以来なのだろうか。夜色に染まりゆく夕暮れに遊太はジャズの音楽に耳を傾けながら景色を眺めていた。優しい秋風が頬を撫で木々や葉の匂いが鼻をかすめる。河川敷にはボートを倉庫に運んでいる学生達の姿が見える。土手は人が一人もいなくなった。くぴりとほろよいをまた一口飲む。夕焼けの景色を眺めながら晩酌をするなんてCMのワンシーンみたいでなかなかムードが出る。コロッケもかぼちゃの煮つけも平らげもう満足。外はだいぶ暗くなり始めオレンジ色に染まった空は消えていった。これで自分のゆとりある晩酌の時間は終わった。遊太は空になった袋とプラスチック製のパック、缶を片付けようとした時、テーブルの上に置いたスマホが揺れた。

ロック画面にインスタとX、そしてLINEの通知が表示されている。LINEの通知をタップすると送り主は遊太の学生時代の友人からだった。藤森じゃない。別の友人だ。内容は明後日、一緒に映画を観に行かないかという誘いだ。その人は学生時代から仲が良く今でも連絡を取り合っている。もちろん。相手は男だ。今、彼は僕よりすごい仕事をしていて忙しくてなかなか会う機会はなかったけど、どうやら明後日はスケジュールが空いているみたいだ。

明後日は土曜日。特に予定もないし休日出勤もないからと遊太は送信先にスタンプとメッセージを送った。