形成外科を受診して、抜糸を終えて

処置の説明が書いてある紙を渡されて 

そこに書かれていた漢字一文字。
「創 《きず》を目立たなくさせるには 」

創作というものは、自分のために何かのために
「想い」を形にするものだけど、誰かの心に残るような作品は私には生み出せない って難しさを感じてきた。


この一週間を振り返り、私は誰のためにもならない、自分のためにさえならない|創《きず》を自分の腕につくった。


この苦しみを主治医に伝える方法が わからなくてなんとからくになりたくて
生きてることに罪悪感のある毎日、痛みを感じるだけの体から逃げたくて 力任せに左腕を傷付けた。
そしたら、傷口が深くなってしまい びっくりして泣きながら救急に行った。
どんどん痛みが増して、待ち合いで息が苦しくなり、吐き気がしてきて気を失いそうになって
診察室から呼ばれた声が女医さんで 少しだけホッとして 過呼吸起こしながら診察室に入った。


「怪我ですね」
「お皿を?」
割って、自分で…
「自分で傷付けたの?」
はい…




「死のうと思ったの?」
しにたくなる気持ちから逃げたくて、明日の診察がつらくて。
タオルで巻いた傷口を先生に診てもらい、
「これは縫わなきゃダメですね」

自分が ここまで深い傷をつけたことが信じられなくて、






しんじゃうのかな と呟いたら
「これくらいでは しにません。」
「ゆっくり息して、また苦しくなるから」

と言われて、処置室に呼ばれるまで ずっと発作が治まらなくて そこでアルプラゾラムを飲んだ。
それからすぐ 縫合してもらい、
なんだっけ…あの横になって運ばれる寝台の上で
麻酔をして 先生が泣いてる私を落ち着かせようと
話しかけてくれて、
「今のところ 順調だよ こんなことしなくても 先生につらいって伝わったんじゃないの?」
と言われて 
その時、友達の笑顔が浮かんで、
今思うと、喪失感からこんなことしたんだろう って思う。


失くしたもの 健康、普通の生活、友人。。
なりたかった理想の自分。

夜の救急室で働いている病院のスタッフに感謝と尊敬と
何より、自傷行為する患者を受け入れ拒否せずに
診てもらえたことが救われた。


腕の傷は 治してもらえたけど
私は、あの日からずっと心の傷が治らなくて
精神科に行くことがつらい。怖い。

自分で作った 「創」に何の意味があるのだろう。

こんなに 誰の得にもならない 創《きず》ってあるだろうか?
でも 誰かに許してほしかった。


家族を巻き込んで、親不孝なことの連続、
労働の義務を果たせていない……
服薬を守れない。みんなと違う 
安定剤が切れると、たちどころに精神が不安定になる。
主治医にそれを言うと
一気に切られて 中断症状で苦しくなる。
今回だってアルプラゾラム飲んで、やっと手術できた。それが悲しい。
もう安定剤が体の中にないと、生きていけないんだ 
って。

なんでこんな風になっちゃったの?
十年前は、働いて一人暮らしも何とかしていた。運転もできた。
決して自立できるだけの収入は得られなかったけれど、社会とつながれていたのに。
こんな見せしめみたいなことしたって 誰も助けてくれないよ。
主治医にも
「伝える 伝わるとかの問題じゃない 自分でどうにかするものだ」 と言われた。
予想的中の答えだった。
でも、受診逃げないで行けただけで今は それだけでいいと思う。

正論は誰でも言える。
いつか 友人に言われた言葉。
やっぱり 友達でいたかった。友達は、先生より私には大事な存在だと 痛感する。


先生もそれをわかってる。
「私や家族にじゃなくて 友達に話せるといいね」って、以前に診察で言われた。

私が求めているのは、創作できる能力じゃなくて、共感してもらえる誰か。
だから 現実を変えなくちゃいけない。
だけどもう力が湧いてこない……。



創を治すための 「ゆうきばん」という絆創膏の存在を知った。
  優肌絆 《ゆうきばん》
この言葉の響きと感じが 好きです。